「変わる」ということ#2
紳士服から婦人服への転換
時代の流れにより紳士服が売れなくなり、お店も次第に閑散としてきました。ちょうど私が小学校低学年の頃だったろうと思います。この小売業と言う仕事は仕入れて売る。つまり在庫が滞納するとお金が滞納する。 お金が回らないと言う状況が続きます その結果、運転資金が不足して借金が増える事態に陥りました。
さらに、運転資金は高い利息がつく上に、返済期限も厳しく、緊張の日々が続きました。当時の金銭の賃貸借契約書が見つかりました。1,000万円を借りて、年利5.4%の利息がつく契約です。年間54万円。月に4.5万円の利息。
これが当時の契約書です。
この時、母が印鑑を押した際の気持ちはどれほど重いものだったのでしょうか。胸が痛みます。商売の基礎もよくわからない状態で、仕事のことも十分理解していない中で、店を維持するためには何かしなければならないという状況で、連帯保証人としての印鑑を押す決断をしたのだと思います。
現在の「いろはや」のメンバー、そして将来のメンバーは、この苦労を忘れてはならないと考えます
創業168年というと、多くの方から「すごいですね」とお褒めの言葉をいただきますが、実際には華やかさは1ミリもなく、幾度も苦難を乗り越えて壮絶な変化。つまり「変わること」を選択し、生き残ってきた結果に過ぎません。
商売とは、本来お金が円滑に回ることが奇跡に近いものであり、むしろ資金繰りが困難な時期が通常なのです。日々の仕入れ、支払い、従業員の給与や経費の支払いなど、日常的に何とかやりくりしている状況です。天からお金が降ってくるわけではありません。
小売業の現実は常に自転車操業であり、資金が足りなければ借り入れをしても運転資金を回す必要があります。この現実をスタッフ一人一人が理解する必要があります。つまり売らなければ。「売り切ることができなければ」会社は回らないのです。倒産するのです。
しかしながらいろはやにはこういう行動指針があります。
「売る」事が目的ではない。
「お客様の満足」が目的。満足が先。売上は後。
満足の先に買っていただける。売上がある。
どうやったらお客様に満足してもらえるか一人一人が主体性を持って考えてほしいと願います。眼の前のお客様に対して、今あなたは何ができるのか。真剣に考えていってほしいと願います。
irohaya20店 GRANDOPEN(昭和63年年8月24日)
このような状況の中で、紳士服売り場の半分を改装し、新たに「いろはや20(トウェンティー)」をオープンしました。当時、(株)ワールドのルイシャンタンというブランドをメインに取り扱っており、私の長女である裕紀子が店長を務めていました。
私には3人の姉がいます。
長女である裕紀子。次女の富美子。三女の恵理子。長女は努めていた保育士の仕事を辞めて家業を手伝ってくれました。また次女の富美子は銀行を辞めて母をサポートしてくれました。三女の姉は努めていた(株)ワールドをやめて未熟な私を支えてくれました。
その3人の姉が交代でお店と母をサポートし、何とか事業を続けてきました。この3人の姉がいなかったら、現在の「いろはや」はおそらく存在していないだろうと思います。
オープン当初の長女裕紀子が兄に充てた手紙がこちらです。
「今、家は本当に大変です。やはり一番きついのはお母さんでしょう。(中略)お店の方もお母さんがいないとまったくダメです。商売はしててわかるものですが一人一人に合わせて話すだけでも疲れます。頭をペコペコさげてご機嫌をとって知っている人ならなおさらサービス精神をださないと付き合いが大変です。」
また人材で悩まされていた様子も記されています。
(中略)2か月がたちましたが毎日毎日必死です。おまけに店員さんがいたのだけどやっと覚えてくれていまからというときに辞められて病気という理由で辞めたのだけど今はエル(当時の支店)近くの別の洋服屋で働いています。絶対悪いようにはしてないのにどうして?と原因がわからず裏切られた気持ちでその時は涙も出ました。
昔も今も。いろんな思いを抱きながら。困難に直面しながらも倦まず弛まず努力をして「いろはや」という暖簾を守ってきたのです。創業168年。一瞬として順調に優雅に歴史を綴ってきたわけではありません。168年間、先代たちが泥臭く挑戦を続けて、叩かれてもなお立ち上がり、自分自身を鼓舞しながらバトンを必死に渡してきた「時間」なのです。
現在のirohaya20店(平成27年10月1日に移転オープン)
現在は名前をselectshop 20(トウェンティー)と名称変更して長崎県島原市宮の町で営業を続けています。商店街での商いから島原半島の幹線道路である251号線のロードサイドでの商いに挑戦するために平成27年に移転オープンしました。
今の天本店長は私が初めて採用したスタッフで入社20年になります。
当時の長女の裕紀子店長から次女の富美子店長、3女の恵理子店長から今のバトンを引き継いでもらっています。これもまた「変わる」決断の一つです。
商売は厳しい現実と隣り合わせです。「変わる」ことは既存の組織にもスタッフにもかなりの負荷がかかります。そのような苦渋の決断の上で進まなければいけません。変化を恐れていては未来はありません。
それが恐ろしいほどの現実なのです。
接客や仕事のスタイルも。
お店の立地や戦略も。
どんな商品をどこの誰に売るか。その視点や商いの在り方そのものさえも。
常に「変わる」事が求めらえています。
変わらないと商売のリングから退場を強いられるのです。
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