余白をつくる。
余白。
余白からは程遠い現代日本
たくさんの人、たくさんの物、たくさんの情報が溢れかえっている現代の日本。
物質的には豊かになり、一昔前に比べれば圧倒的に生活は便利になったはずなのに国民の幸福度は全然上がらない。
日々何かに追われるように生活する人が多く、心を蝕まれる人も多い。
一体幸せとはなんだろうか。。。
余白を塗りつぶしていた過去
たくさんお金を稼ぐためにめちゃくちゃ働いていた時期がありました。
月に2回ぐらいしかまともな休みを取らなかったりしていて年に何回か大きく体を壊して強制的に休まされて、そしてまた働くという日々を送っていました。
当時のぼくは働きすぎているって思っていなかったのが一番怖いところです。
とにかく何かに追われていて働かなければと思っていました。
余白をつくるどころか自ら余白を塗りつぶしていっていたのです。
余白をつくること -チル(chill out)との出会い-
そんな生活が長く続くわけもなく、ようやく働きすぎていると気づいたぼくはチル(chill out)という概念に出会います。
高校の時にオーストラリアに行ったことがあるぼくはオーストラリアにまた行きたいなーと思いながらなんとなくオーストラリアについて調べていました。
そしたらオーストラリアについてめちゃくちゃおもしろおかしく書いてあるブログにたどり着きました。
そこでチル(chill out)についても書かれていて、ぼく自身は大学時代に千利休についての講義で侘び寂びを学んだこともあり、禅の考えも好きだったのでとても興味深い内容で、かなり腑に落ちてするっと入ってきました。
当時のぼくはスケジュール帳に余白があったらとにかく何か予定を埋めたい!というような余白なしなし人間でした。
そんな予定詰め込みまくりの余白なしなし人間だったぼくにとってはとても新鮮な考え方でしたし、余白をつくるって何をしたら良いの?っていうところから始まりました。
チルを教えてくれた人
その人は世帯年収1000万を捨ててオーストラリアに画家旅に出ていた人でした。
この時点でぼくとは住んでる世界が違う人だなと感じましたが、ブログがおもしろかったので大阪で旅の報告会があるってことだったのでいこうと思い申し込んだのですが、体調を崩してしまい旅の報告会には行けませんでした。
後日、大阪でチル会というゆるい飲み会をしますと連絡がきたので、かなり緊張しながら参加しました。
初めは緊張していましたが、主催のとにかく明るい織田さんと他の参加者の方もおもしろくて良い方ばかりだったので安心できました。
今ではおだっち、いろはくんと呼び合うような仲で、M-1グランプリやLIVE ART AUCTIONやAKITA ART ACTIONなどたくさんのイベントに一緒に参加しています。
余白をつくるとは
余白をつくるということは何にもせずただぼーっとするということだけではありません。
もちろんぼーっとすることも大切なチルですが、自分が心地よい時間を過ごすこともチル(余白)なのです。
季節の移ろいを感じて、自分自身の体の調子を感じて、その時々に寄り添って過ごす。
無理をするのではなくて、今はこうだからこうしようといった感覚を大事にした生き方をしていくこと。
お金がないことをただただ嘆くのではなく、お金がないという事実を感じた上で、さてどうしようかと考えられることも余白をつくることだと思います。
ミニマリストやシンプリストにも通ずるものがあると思っています。
今あるものを大切にする。
チルリストとして
ミニマリスト、シンプリストと似たところがあるのであえて差別化した名前をあげるとすると『チルリスト』
チルを積極的に日常に取り入れて余白をつくり、人生を豊かにしていくことが今の目標です。
そして、余白をつくることが多くの人に広がっていくと日本人の幸福度も上がっていくんじゃないかなと思っています。
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