歴史に関心をもった過程

歴史の捉え方には投資家的歴史観と歴史家的歴史観の2つがあって、学校で習う歴史が退屈なのはこの2つの認識がないからだった。歴史は未来を創る為のものであり、その本質を理解したとき歴史に対しての見方が変わった。


・なぜ歴史が退屈だったのか・

 自分は歴史がそんなに好きではなかった。ある時代に生きてた人たちが何かをやっていたとしてもそれはもう終わったことで、自分にはなんの関係もないし、なんの役にも立たない。それよりもむしろ、未来の話をすることが好きだった。工作のような何かを生み出すことが好きだった。

 だから、歴史の授業は退屈で仕方なかった。過去の知らない人物や地名や名称などを羅列して呪文のように話が進められる。全く頭に入らないから、なんどもノートに書いてその場しのぎで暗記する。

  おもしろくないな。。。それが今までの感覚。


・未来の話・ 

コロナになってから、いろんな人がこれからどうなるんだろうと考えるように、自分もこれからの未来を考えていた。

いろんな情報を見る中でテクノロジーについての話に触れる機会があった。5Gが革命的であるという話だ。

3Gとか4Gとかなんか聞いたことあるし、最近ではソフトバンクのCMでもよく出てきてんなーと思う。調べてみるとGはGenerationの略で第5世代ということだ。これは通信に関する世代で電話とかメールとかスマホとか世代ごとに色々進化してるいる段階をGで表しているみたいである。

  それじゃー5Gはどんな時代なんだ?

それが超高速化、超多数同時接続、超低遅延ということらしい。わかりやすくすると動画見てる時に通信速度が落ちてグルグルが表示されるやつがなくなるらしい。2時間の動画が3秒でダウンロウードできるらしい。

  んーまーそれはすごいけどそんなに革命的なことなの?

でもそれがすごいことで、これによって自動運転が普及していくらしい。確かに、自動運転中に急に人が飛び出してきて通信速度が遅いからぶつかりましたじゃシャレにならない。でも超低遅延、つまり通信速度がむちゃくちゃ速いから絶対に止まるようになる。安全性が確保できれば自動運転は実用化されていくのは納得。

それだけじゃなくて、通信の精度が上がることで医療で機械を使い、海外の名医がどんなとこからでも手術できるようになるかもしれない。5Gだけじゃなくて他にも色々な技術があるけど、とにかく革命的なことは知らず知らずに起きていた。

 

・過去と未来が繋がった瞬間・

話が長くなったが、ここで歴史の話に戻る。歴史嫌いな自分でも覚えている言葉に産業革命がある。なにが革命的だったかというと移動手段が大きく変わったことが一つある。蒸気機関車によって多くの人やモノを大量に運ぶことができるようになったことで、様々なことにおいて利便性が上がり、あらゆる常識が変化していった。

  移動手段に革命が起きた?

  それって、自動運転もそうなんじゃないか。

人がいなくても勝手にものを運ぶようになる未来は今までになかったことで、それは歴史の教科書に載るような大きな変化なのではないか。

その時、自分の中で過去と未来が繋がった気がした。過去に起きたことは未来で全く同じことが起きるわけではないけど、類似する点が多いことから歴史を理解することで未来の変化を想像することができるではないか。

確かに、今までもつくりたいと思って作るものには必ずそれをつくるベースがあり、それは過去の自分の記憶だったり、世の中の事例だったりする。歴史というものを未来を創造する為の材料のようなものと捉えた時、大体でもいいから歴史の変化を知りたいと思えるようになったのである。


・過去をベースに未来を考えてみる・

例えば、芸術や建築的な話だと(自分のざっくりした捉え方)、        産業革命によって機械化が進む中で、それに対し、そんなの嫌だ自然のような有機的なものこそ人の本質だという考えが生まれ、いや違う機械的なものこそ時代の流れだ見たいになってそれを表現するようになり、いやいや、ただ表現するだけじゃ意味がない、もっと機械的なものの本質を形にするべきだといって、それが今のモダニズムへとつながっていった。                      では、これからかつての産業革命のような変化が起きると考えると、どのような変化をもたらすだろうか。テレビ会議ができるようになってわざわざ人に会う必要がないなと思う人もいる中で、いや、人と会うことは人間的なことでそれが大切なんだという声は上がってくるのではないか。それは、産業革命後の自然こそ本質だという声と似ていないだろうか。そう考えるとそのあとは、かつてのように、それでも効率的で理性的な何かが推し進められていくのだろうか。そんな未来を想像すると、これから何が大切なのかを想像するきっかけとなり、未来を創造することにつながっていく。

 

・投資家的歴史観と歴史家的歴史観・

  自分が歴史に対してなぜ、この感覚を持つようにならなかったんだろうか。

そこで考えたのが投資家的歴史観と歴史家的歴史観である。投資家というのは個人や会社の未来に投資している。そのためには社会的な情勢やニーズなどあらゆる角度から対象のポテンシャルを考察する(投資家ではないので簡単なイメージ)。その際、投資家は社会の流れを今までの歴史から考えるのである。

今でいうコロナのといものは過去の何と同じで、それにより過去ではどんなことが起きたのか。過去を元に未来を予想するこの感覚が投資家的歴史観である。

一方で、歴史家はどうだろうか、主観ではあるが歴史家の多くは過去を探ることそのものに没頭しているように感じる。ある時代の状況をより鮮明にしていく作業である。確かに、どんどん鮮明になっていくがそれを未来に繋げることまでは専門外という感じである。

この二つの歴史観のうち自分が前者の考え方であるとすれば、後者である先生の授業をいくら聞いても退屈であるのは当たり前だ。

確かに、歴史があるから次につながるのであれば、歴史を掘り下げれば未来の糧となる情報は多くなり未来を創造しやすくなるため、歴史そのものを学ぶことは大切だ。

しかし、教育の場で考えたとき、歴史の授業で学ぶべきことは歴史を知ることではなく、第一に未来を創造する為の歴史という本質的な理解ではないだろうか。そして、過去に結びつく未来の話をするべきではないだろうか。

その未来を教わったとき自分が何をしたいのかにつながっていくのではないだろうか。それは投資家的視点で未来を創る役割かもしれないし、歴史家のように過去を蓄積していく役割かもしれない。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?