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松坂屋には、売ってない


《松坂屋には、売ってない……》
《マツザカヤには、うってない……》
そう心の中でつぶやきながら、就職試験の小論文の問題に臨んだ。
「あなたが大学生活4年の間に読んだ本の感想と、そこから得られたものについて述べてください」(制限時間45分)
これが与えられたテーマだった。

志賀直哉の大正時代の短編小説『小僧の神様』について僕は書いた。

 —  東京で評判の、ある人気寿司店に行って、一度でいいから極上のトロの握りを食べてみたいとかねてから思っていた、商店の小僧・仙吉はある日、貯めた駄賃を元にして、その寿司店に行き「トロを1貫だけ」注文するが、店の大将に、むげに断わられる。
わずかに金が足りなかったのだ。
その様子をある男が店内で見ていた。小僧・仙吉を可哀想に思ったこの男は「いつか、この小僧にこの店で寿司をおごってやりたい」と思ってしまう。
そしてある日、男がある店で買い物をすると、奥に仙吉の姿を偶然に発見する。この日をおいて他に機会はないと考えた男は、買った商品を自宅に搬入するために小僧の手を借りたいと店の番頭に伝えて、仙吉を連れ出す。
商品の運び入れを手伝ってもらう気など男には初めからなく、買った品物を荷車屋に預けて、彼は小僧を誘い「あの寿司店」へと向かう……  —

志賀直哉の作った短編小説の中で最も好きなこの作品について、僕は感想を精一杯に書いた。
文体の美しさをほめた。読者をぐんぐん引き込んでいく文章構成の巧みさについて述べた。そして、物語の最終段になって、話をどう終わらせたら、仙吉と男にとって幸せな結末になるのかを悩んでしまう著者本人が、なんと文中に登場してしまうという小説作品としての独特さに大いに学んだ、ということを書いた。

僕は、時間いっぱいを使って書いた。
45分が経ち、試験官が答案用紙の回収を指示した。
僕には自信がない。独創的な文章を書けたという手応えはない。

「在り来たりだな」「オリジナルな視点を、論文からは感じられない」「就職試験の小論文の題材に志賀直哉の短編を選ぶなんて、センスが無いと思う」「面白くない、読みづらい」。
僕の答案を読んだ採点者たちの声が、もう聞こえてくるような感じが、すでにしていた。

だが、係官に答案を渡す直前に、もう一度だけ心でつぶやいてみた。

《松坂屋には、売ってない》


《現状のこの企画案について、水谷さん、君の意見は何かありますか?》
《この企画の改善点がもしあれば、あなたのそのアイデアを教えてください》

新商品の企画・開発会議で、末席に座っている僕は、プロジェクト・マネジャーに意見を求められた。

《この案だと、メイン・ターゲットである30代男性には、響きにくいと思います…。高価格帯への購買力を持ち始めるこの年齢層には、もう少し趣味性の高い、たとえばもっとクラシカルなデザインのほうが、グッズとしての付加価値を感じてもらえるのではないでしょうか…》
入社5年目の僕は、会議の参加者たちに向かって率直に意見を述べた。

僕の言葉を聴いた人たちの内心の声が聞こえる。
「平凡な意見だな…」「原案とあまり違いは無いじゃないか…」「コイツは本当にプロジェクトの内容を理解してるのか?」「頓珍漢なこと言い出す奴だ…」

僕は恥ずかしかった。でも、自分が有能な人材であると、会社のみんなに思ってもらいたかった。
だから、冷や汗を出しながら精一杯、発言した。

僕といっしょに、あの会議の場所にあの人がいてくれたら、彼は僕の横で、こう言ってくれただろう。

《松坂屋には、売ってない》


1985年の、名古屋市立・桜丘中学校の1年生のカリキュラムには「習字・書道」の授業が設けられていた。
毎時間、「希望」・「勤勉」・「将来」などのお題を決めて、黒田先生は、僕たちに墨汁と筆で半紙に字を書かせる。

授業の本筋においては、正統な整った字の書き方を教えてくれるのだが、特に授業の後半になると、黒田先生は、しきりにこう言い始める。

《君たちの書く字は、君たちにしか書けない》
《うまく書けたから良いとか、下手な字はダメだとかじゃないんだ。精一杯に書けば、それは君だけの「作品」になる》
《君たちが自分の手でこしらえた物は、どんな店に行っても手に入れることはできない。既製品じゃないんだ。デパートにだって売ってない。
そう…松坂屋には売ってないんだ》

授業の終わりに、清書したものの中で出来がいちばん良いと思った一枚を「今日の作品」として先生に渡す。作品の回収の間際によく、先生の得意のあのフレーズが飛び出す。
《松坂屋には、売ってない》
「注意一秒、怪我一生」などの交通標語を読みあげるような調子・リズム・抑揚をつけて、この言葉を発する黒田先生が僕は好きだった。

3学期の中頃になって、僕たちは、これまでに仕上げたものを集めて、書道・作品集としての1冊のファイルを作った。
一枚いちまいの字を綴じ穴を開けた台紙に貼り、厚紙の表紙をつけて、ひも綴じの作品集にする。
表紙の厚紙には、黒田先生のアドバイスによって、自分の好きなタイトルとイラストなどを描き込むことになった。

クラスのみんなは、思い思いにタイトルをつけて自由に絵を描く。
「高橋慎二・作品集」「書道作品・田中紀美子」「ぼくの字・花村武」
などのように……
春も近い時期だったので、桜のイラストを大きく描く子が多かった。書道とは何も関連はないのに、なぜか自分の好きなサッカーの絵を描く奴もいた。ただ単に、自分の顔をデカデカと中央に描く大胆なヤツもいた。

僕は恥ずかしくて何も描くことはできなかった。
B4サイズの表紙の真ん中に、5センチほどの幅で小さく…
「(作品集)」
とだけ、書いてみた。

それを見た周りのクラスの連中は笑ってくれた。あえて、それしか書かないことで、奇をてらったアイデアだと感じてくれたのだろう。
僕は冷や汗を体に感じながら、ただ、ヘラヘラと照れ隠しの笑いを顔に浮かべることしかできなかった。

僕の作った表紙を見て、黒田先生も笑ってくれた。
《面白いぞ…。お前らしい表紙だ。》
しかし、いつもとは違う雰囲気で、黒田先生はこうも言った。
《でもな…、水谷。もっと思いっきり描けよ。もっと思いっきり書いても良いんだぞ。それがお前の表現なんだから!
だって、松坂屋には売ってないんだから…》


50歳になった私はいま、自分の撮った写真で、写真展を開きたいという目標を持っている。

展示したい写真を選んで、自分の作品のポートフォリオを作っていると、またしても、「あの」声たちが聞こえてくる。
「お前の撮った写真など、誰も見たいとは思わないよ 」「インパクトのない写真ばかりだな…」「こんな写真、もうすでに他の写真家が発表してるよ…」

しかし、その声たちに混じって、あの人の声だって、私には聞こえるのだ。

《松坂屋には、売ってない》
《マツザカヤには、うってない》


(おわり)
※注
〘松坂屋〙
江戸時代創業の呉服店を起源とする日本の老舗百貨店。
1900 年代に現在のようなデパートメント・ストア形態の店舗を東京・名古屋などの大都市に既に開業しており、高度経済成長期から20世紀の終わりまで、売上高やブランド・イメージにおいて、日本の大規模小売店舗業の中心的存在だった。
現在は衰退期にあると言えるが、豊富な品揃えと接客サービスで小売業界でのステイタスは未だ維持している。

〇最後まで読んでいただきありがとうございます。
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