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真澄ちゃん、元気ですか。

ますみさん、お元気ですか。


私は今年、50歳になります。ですから、私たちが小学校の同級生だったあの頃は、もう40年以上も前ということになりますね。


あなたについての思い出を、少しお話しさせてください。


愛知県・名古屋市立六郷小学校に通っていた私たちは、あの日も、いつものように給食のあと次の授業が始まるまで教室で遊んでいました。


女子たちは窓際の隅に集まって、ワイワイとおしゃべりをし、男子は当時流行っていたプロレスの必殺技「四の字固め」の掛け合いをして遊んでいたと思います。


そんな時でした。
キャー、という叫び声が女子グループの中から聞こえ、その方を見ると、立ったまま上半身を屈め口元を両手で押さえている、あなたの姿が見えました。


プロレスごっこを即座に中止し、駆け寄っていくと、前屈みになっているあなたの足元の床が嘔吐物で濡れているのがわかりました。そして、あなたが立っていた場所は僕の机の前で、イスの背もたれに掛けてあった僕の紺色のカーディガンが、吐いた物でドロドロに汚れているのを見ました。


「うわぁー、石川が吐いたー」「先生呼ぼう!」
「大丈夫?」「誰かタオルちょーだい」
クラスのみんなは口々に言っています。


あなたは青白い顔をして、泣いていました。
その時の僕は何故だか、いたたまれない気持ちになってしまって、あなたを中心に集まっているクラスのみんなの輪の外に、ただ黙って立っているしかありませんでした。
カーディガンを汚されてしまったことで、真澄ちゃんと共に私までもが、いわば「事件の当事者」になってしまった — そのことで、あの時の私は動揺していたのだと思います。


清水先生が駆けつけ、クラス委員の天野さんにあなたを保健室まで連れていくように頼みました。そして先生は、吐いた物で汚れた僕のカーディガンを取り上げて、女子トイレの方に消えていきました。
水の入ったバケツと雑巾を持って先生は戻ってくると、イスの背もたれと床の汚れをきれいに拭き取りました。
そして、掃除用具入れのあったトイレに行ったついでに、カーディガンの汚れた部分を先生は水で洗い流してくれたのでしょう。その水に濡れたカーディガンをビニール袋に入れて、持ち帰ることができるようにして、先生は僕に渡してくれました。


そうして、クラスのみんなは、午後の授業に入ることができました。


お母さんに連れられて、あなたが私の家を訪れたのは、その日の夕方でしたね。背の高い、スラっとした綺麗なお母さんだったことを覚えています。


私は居間でテレビを観ていたので、あなた達が家に来たことを、はじめは知りませんでした。けれど、家の玄関先の道路で私の母が誰かと話をしている声に私は気づき、誰が来ているのか気になり玄関まで行くと、私の母の前にあなたのお母さんとあなたが立っているのが見えました。


昼間にあった出来事を謝りに来たのがわかったので、僕は申し訳ないような気持ちになりました。


家の前の道で話をしていた母は、玄関にいる私に気づき「あっちへ行きなさい」というゼスチャーをしました。なぜ、母は私を遠ざけたのか。それは、事の顛末を話している場に私を参加させると、ここにいる当の真澄ちゃんが可哀想なのではないかという母の配慮だったのだと思います。


家の中に戻る気にもなれないし、僕は玄関にただ立っていました。


じつは、学校で私たちに起こった出来事を母には伝えていませんでした。学校から家に帰っても、僕のカーディガンの入ったビニール袋は、ランドセルに入れたままでした。お母さんに話すのは何かイヤだったからです。でも真澄ちゃんたちが家に来たので「バレた…」と思いました。


大人2人が話をしているあいだ、あなたはずっとお母さんの隣に立っていましたね。そして私の母に頭を下げて謝っている姿が見えました。
マズい、と僕は思いました。なぜなら真澄ちゃんたちが今度は僕のいる方に近づいてくる気がしたからです。
僕は、玄関の傘立てに突っ込んであった野球のバットを取り出し、家の門と玄関との間のスペースで、あわてて素振りを始めました。
そして、こちらの方に来たときには、素振りのため「たまたま」玄関先に居合わせた感じを僕は装いました。
「慎くん、ほんとにごめんなさいね」
「…ゴメンなさい…」
バットを振るのを止めて、あなた達の言葉を聞き
「うん。いいよ」
とだけ、私は返しました。


あなた達が帰ったあと、私は母に少し叱られました。カーディガンの件をすぐに報告しなかったこと。謝っているあなた達に素っ気ない返事しかしなかったこと。
そのあと母は、あなたのお母さんがくれた紙袋を見せてくれました。中には、キズよけの白いネットのかかったリンゴが3つと、洗濯用粉せっけんの小箱が入っていました。
丁寧にお詫びの品まで頂いてしまったことに、母は恐縮していました。でも、 しばらくしたら
「よし。この洗剤で、しっかり洗ってやるか!」
と言って、笑っていました。


あの学年が終わったあと、あなたは転校してしまいましたね。それだけに、あの出来事が私の記憶に強く残っているのかもしれません。


いま思うことは、真澄ちゃんとお母さんはとても良い親子だったということです。
私のカーディガンを汚してしまったことをあなたはお母さんに正直に伝えたこと。それを聞いたお母さんはあなたを連れて、すぐに私のところまで丁寧な謝罪に来てくれたこと。


翻って、私自身のほうを振り返ってみると、全くダメでした。
まず、学校で起こった大事なことを親に隠していた。それから、真澄ちゃんたちの謝罪を真摯に受け止めることができなかった。


いま私には2人の娘がおり、下の子はあの頃の私たちと同じ年頃になりました。真澄ちゃんたちのような親子関係を私は築けているのかと省みている次第です。
あれから40年以上が経ちましたが、私は相変わらずダメなままのような気がします。


きっと、ますみさんは素敵な女性に成長されたことでしょう。


真澄ちゃん、元気ですか。


(おわり)
読んでいただき、ありがとうございました。
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