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昨日、
『認知症にやさしいデザイン』セミナーに参加させていただきました。

講師はレスリー・パーマーさんという方で、『建築×認知症研究』の世界的権威だそうです。

高齢化社会、長寿社会、地域包括ケア社会が進んでいくなか、
高齢者の6分の1は認知症を患っていくことになるそうです。

認知症は、若年性のものもありますが、
加齢とともに、誰しもが関係してくるものだろうと思います。
病気や障がいというよりは、ライフステージのなかで、付き合っていくものということなのかと思います。


『認知症対策』と言葉だけ聞くと、
支援者の理解や、周辺のサポートなどの
『ソフト対策』をイメージしがちですが、
今回のセミナーのテーマは『ハード対策』です。

ハード対策により、認知症への暮らしをサポートしていくアプローチは、とてもやさしく、最上級のソフト対策のように感じました。


講師から、認知症のメカニズムや捉え方、考え方などの基礎的なお話が前半ありまして、後半は、実例をもとにした解説を進められました。

印象に残った部分をアウトプットしてみたいと思います。

認知症の方は、いくつもの情報を掛け合わせることが難しくなってくるそうです。
つまり『簡潔』な情報であってほしいということですね。

公共施設の事例として『トイレ』と書いていても何のことから理解できない。
トイレの扉の色はどこも統一したり、その扉にトイレの絵を大きく書いてみたりすると、分かりやすくなるのだそうです。

福祉施設の事例では、なるべく社会的交流が生まれるような配置・設計にしてみたり、
廊下や天井などは統一感をもたせ、ジャンルごとに見た目を変えていくことで、違いが認識できるそうです。

驚いたのは、床と壁を同一系統にしないということで、例えば、床も壁も白やベージュなんかの同じ色合いであったら、どこから床なのかどこから壁なのか、空間認識が難しくなるそうです。

また、『影』の部分が生じてしまうと、そこを穴と捉えてしまったり、誰かがいるんじゃないかとか、不安に思ってしまったりするそうです。

そんな光の角度ひとつでも違いがあるそうで、また、一般の人の3倍ほどの照度が必要だそうです。
手元を明るくしてあげたり、明示したいところは、一層明るくしておくことも大事だそうです。

とても興味深かったのは、施設から屋外へ出るときに、急に日光などの強い日差しを受けてしまうと理解や適応が追いつかないことがあるそうです。なので中間的に、屋外に出たところには屋根があって、そこにダウンライトがあって、「慣らし」の場を設けているそうです。

その屋根の形状もとても特徴的で、外出から帰ってくる際に、特徴的で分かりやすいようにしているというこだわりようでした。


受講者の中から質問がありました。
公共施設や福祉施設などのハード対策の重要性についてお話してきていただきましたが、自宅で認知症のある方が多く生活している現状です。
コストをあまりかけずに実施できるハード対策で有用なものはありますか?との質問でした。

講師からの回答も明瞭で、とても理解が進みました。

それは、『視認性』を意識すると良いとのことでした。

例えば、棚の中に何かがあるとしても、あの棚の中にはこれがあって、あれがあって、とまで2段階3段階に連想していくことが難しいそうです。
なので、中が見えるようにしてあげると良いとのことでした。

事例として、お茶をつくるのが好きだった認知症を発症した方が、このようにお茶の道具や材料の場所を見えるようにしたことで、自発的に、行動をするようになる機会が増えたということもあったそうです。

一方で、家の中が雑然としていることは、様々なことに理解が及ばず、情報の整理がつかなくなるそうです。

なので、生活導線はキレイに整理整頓したり、物を取捨選択して、無駄なものや優先度の低いものは片付けていくと良いとのことでした。

こういったことは認知症に関することだけでなく、生活するうえで重要なことなんじゃないかなと改めて感じました。

認知症を発症したというフラグが立ったとたんに、このような対応が必要というわけではなく、どんな人にも大切な日常のことだろうと感じました。


全体を通じて印象的だったことが2点あります。

まずひとつ目は、認知症には、いろんなケースがあるそうです。
できない場面、嫌う場面も、それぞれだそうです。その千差万別の対応を、公共のハード面でしていくことは難しいため、多いところに合わせていく、包括的なところに合わせていく、というお話でした。

これは、マイノリティの切り捨てではなく、全体を見渡して、知り尽くしたうえでの最大公約数的な考え方で、ある種、とても大きな優しさの選択だなと感じました。

もうひとつは、認知症を特別に考えるのではなく、高齢化への対応と同じ分類として考えていってほしいというメッセージでした。
序盤で記載したとおり、若年性のものなどもありますが、ほとんどが加齢にともなって発症していくものです。
認知症を、単なる病気や障がいとして捉えるのではなく、おじいちゃん、おばあちゃんにとって良い環境を整えていく努力が、結果的に認知症にやさしい環境をつくっていくことだろうというものでした。


現在の人口構造からすると、こうした社会のテーマというのは目前に迫った大きなものだろうと思います。

まち全体で、社会全体で、市民全体で、こうした理解や目線が増していけると良いなと思いました。
ぼく自身も、そうした目線をもって、生活できると良いなと感じました。

『ハード』の対策のようなテーマでしたが、
『ソフト』の根本となるような、とても温かで優しいセミナーの内容でした!


今日もご覧いただきありがとうございます。
2日続けて、英語をずっと聞く日が続きました。こんなに本物の英語をずっと聞いたのは人生初かも(笑)
英語が聞き取れなかったら、やっぱりちょっと悔しい・・・。ちょっと勉強し直すか?(笑)(いや、嘘です)




<1年前の”今日”の記事★>

おぉ!!巡り合わせというのはスゴイですね。
いつも子ども向けの活動が多いですが、昨年の今日は、シニア向けの話題でした。
そうなんです、子ども向けに開発した『あそぼうさい』が、実はふつふつとシニア向けに人気・話題になっているんです。
お客さん層が各段に多くなりすぎるので、あまり宣伝していません(笑)
コンテンツは確立できていますので、プレイヤー募集!



<2年前の”今日”の記事★>

おぉ!!!
これまた!!!
前言撤回。
子ども向けとか、シニア向けとか、まぁジャンルはあるのかもしれませんが、時間軸、時代の流れとして繋がっているというだけですね。
子どもの頃に歌っていた校歌を、おじいちゃんおばあちゃんになったときに、そのまちの子ども達に教える、一緒に歌う。
校歌の歌詞に刻まれた校区の誉れを、子どもを真ん中にして共有しました。
実は幻の3番があったことに子ども達も驚き!!(笑)

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