とても感慨深い話を学びました。
想いを言葉にして伝えるチカラ。
とても大切ですよね。
では、想いが先か、言葉が先か?
という問い。
タマゴが先か、ニワトリが先か?みたいな問いに近いですよね。
堂々巡りで、どうなんだい、という禅問答です。
想いが無ければ言葉は出てきません。
だから、圧倒的に、想いが先にあって、言葉がそれに続くように感じます。
でも、正答は違いました。
言葉が無ければ、想いは広がっていかない。
宙に浮かんだようなカタチのない想いは、見えない、分からない、伝わらない。
これを言葉にして、掴めるカタチにしてこそ、伝わっていく。
なので、『言葉が先』ということでした。
ぼくも、毎日の『言語化』を通して、つくづく感じます。
漠然とした考えや感情。
どうカタチにできるよう表現するか。
これは簡単そうで難しいことです。
この話を書こうとして、
漠然としたカタチにならない想いを紡ぎ合わせます。
やがて、『言葉』になっていき、一本の記事を形成しようとしていきます。
言葉になったことの連鎖反応で、
思考までが呼応してきます。
この話題のスタートから、言いたい事、書きたい事が、次々と湧いてきます。
外へ伝わる『言葉』だけでなく、
自分自身の思考の内部であっても、想いをカタチにしていくための、言葉は重要なんだろうと思います。
あまり多くを書きすぎると、言葉が薄れてしまいますよね。
なので今日はこの辺で・・・。
この学びと、ぼく自身の感情展開を、今日も言葉にできたことを嬉しく思います。
冒頭の美しい作品は、あゆみむ|noteさんの作品を使用させていただいています。ありがとうございます。
今日もご覧いただきありがとうございます。
<1年前の”今日”の記事★>
とても大切な想いの詰まった記事です。
是非ご覧ください。
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