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『美を膝の上に座らせ・・・』とはナンノコトカ?

人にはなんらかの芸術的才能が与えられているようだ。ただし、その才能を起爆させるものは必要である。

荒木経惟(あらき のぶよし)はどうだろうか?数々の写真賞、芸術賞を受賞し、「オーストリア科学・芸術勲章」を日本人として初めて受章していることから、荒木経惟が世界的な写真家、芸術家であることに異をとなえる人はいないだろう。荒木経惟がただのエロ写真家、ポルノ写真家ではないことはたしかである。

荒木経惟の才能は作品の中にどう昇華されているのだろうか。荒木経惟の作品を「私小説」として読み解いた評論として、『荒木経惟 つひのはてに』がある。著者はフィリップ・フォレスト(Philippe Forest, 1962- )でフランスの小説家、文芸評論家、大学教授、そして日本文学の研究者でもある。この評論は荒木経惟による作品の核心をついており、翻訳ゆえにわかりにくいところがあるものの(翻訳が拙いという意味ではない)、内容は濃密である。形は荒木経惟論であるが、フィリップ・フォレストが描く「私小説」ともいえる。

荒木経惟は『センチメンタルな旅』で写真家としての覚悟を表明している。

この『センチメンタルな旅』は私の愛であり写真家決心なのです。
(中略)私小説こそもっとも写真に近いと思っているからです。
『荒木経惟 つひのはてに』フィリップ・フォレスト 澤田直・小黒昌文訳(白水社)

フィリップ・フォレストは荒木経惟の「私小説」の本質を明確に定義する。

それは私たちの実人生と同様、永遠に「進行中の作品」であり、絶えず書き直される手記だ。その内部では、生き生きとした物語が、出来事の変化に応じてたえずつくられ、解体され、ふたたびつくり上げられる。芸術家はその作者である以上に、演者であり、証人である。
                              (同上)

荒木経惟とフィリップ・フォレストの接点は愛する人をなくしたところにある。荒木は妻陽子を、フィリップ・フォレストは4歳の愛娘を失っている。「死」には「喪」がつきまとう。そして荒木経惟の「喪」に向きあう姿勢とそこから生まれる作品に触発されたフィリップ・フォレストが『荒木経惟 つひのはてに』を書いた、あるいは書く勇気をもらったといえる。

荒木経惟は陽子が亡くなってから空ばかり撮っていた時期がある。そこから生まれた作品『空景/近景』の印象はフィリップ・フォレストによって究極的な表現で語られる。

美を膝のうえに座らせ、その苦さを感じ、侮蔑して絶縁を言い渡したときにこそ、美はそのもっとも悲壮な強さをかつてないほどに発揮するのだと言うことを。
                             (同上)

余談だが、『美を膝のうえに座らせ・・・』という表現は、アルチュール・ランボオ(Arthur Rimbaud,1854-1891)の『地獄の季節』にもある。独特な表現なので記憶に残っていた。

ある夜、俺は『美』を膝の上に座らせた。— 苦々しい奴だと思った。— 俺は思いっきり毒づいてやった。
『地獄の季節』ランボオ 小林秀雄訳(岩波文庫)

フィリップ・フォレストは荒木経惟のある作品をランボーであると形容しているから、『地獄の季節』を読んでいることはほぼ間違いない。

ではフィリップ・フォレストが言う『美を膝の上に座らせ・・・』とはどういうことなのだろうか。

荒木経惟とフィリップ・フォレストの文脈で考えてみると、愛するものの死をきっかけに芸術家が何かを生み出そうとするなら、そこに虚飾が入り込む余地はほとんどないだろう。つまり、作品から美的なものは意図的にそぎ落とされ、そかわりに「喪」に伴う深い瞑想から生じるものが作品に投影される。そして美とは言えない美の原形が姿をあらわすのを静かに見まもる。『美を膝の上に座らせ・・・』とは、まさにその端緒を示しているようにうけとれる。そうして、荒木経惟のイマージュが生まれ、フィリップ・フォレストの小説『永遠の子ども』が生まれた。

ここまできて、自分の「喪」を短い「私小説」にしてみようかという浅はかな思いが一瞬脳裏に浮かんだ。しかし、断片的なことしか言葉にならず、今は心にとどめておいたほうが賢明なようだ。膝の上に座らせる美の手がかりがまだ見つかりそうにない。

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