見出し画像

それでいいのか映画業界~『なつやすみの巨匠』製作秘話2

地元福岡を舞台に、自主映画を作る――。
そもそも一介の脚本家に過ぎない僕がどうしてそう思い至ったのか。大きく分けて三つの理由がありました。

1.日本の映画業界に対する危機感

物書きとしてオリジナル作品が書きたいというのは当然の欲求です。
しかし現在のメジャー映画ではオリジナル企画はまず通りません。原作付き、あるいは人気ドラマの映画版といった「保証」がなければお金が集まらないのです。不景気になればなるほど、その傾向は顕著になっていきます。

原作ものが全てダメだと言っているわけではありません、ただ映画はもっと多様性があって然るべきだと思うのです。
しかし、現状を嘆くだけでは何も変わらない。居酒屋で愚痴るだけのおっさんにはなりたくない。業界の中にいる人間こそが動くべきではないか。たとえ色々なものを失ったとしても。

2.東京一極集中に対する問題意識

昔から地方出身の役者やミュージシャンはリスクを冒して上京するのが当たり前になっています。どうして住み慣れた地を離れなければならないのか、それは人も資本も東京に一極集中しているからです。この状況を何とか出来ないか。僕の近年抱えるテーマでもありました。

地方にはそれぞれ独自の観光名所や郷土料理、お祭りなどがあります。それを楽しみに全国から、海外から人がやって来ます。だったら地方独自のエンタメもあったっていいじゃないか。各地で多様なコンテンツが百花繚乱、しかもそれが経済的に循環できる状態。これこそ文化の多様性ではないかと。

僕は映画の舞台に故郷の福岡を選びました。
ここなら僕のやろうとしていることに理解を示し、応援してくれるはずだ。なぜか根拠もない確信がありました。
福岡には昔から進取の精神があります。否定から入ることがありません。「面白そうやけんやってみらんね」「走りながら考えればよか」という考えです。失敗を避けるよりチャレンジ精神を応援する気質なのです(そのぶん飽きっぽいのが玉に瑕ですがw)。

実際に企画を進めるにあたり、自分の確信は間違っていなかったと感じました。福岡の人たちは一緒に映画という神輿を担ぎ、お祭りを存分に楽しんでくれましたから。

3.光を失った父への想い

2014年は僕にとってプロ10年目の節目となります。ですが、まだこれといった代表作と呼べる作品を残してはいませんでした。いつかはオリジナルを、と思いつつも日々の仕事に追われて充実したつもりでいました。

そんな頃、故郷の父が重度の糖尿病から緑内障を発症し、完全に光を失ってしまったのです。遠く離れた両親に自分の作品を観てもらうことが親孝行だと思ってテレビの世界で頑張ってきたのに、もはや父は観ることすら叶わない。何という皮肉だろうか。チンタラやってきた自分を殴りたくなりました。

でも、まだ耳は聞こえる。聞き馴染んだ博多弁の映画なら、見えずとも耳で「観る」ことは出来るんじゃないか。何だかんだ言ってこれが一番大きな理由かも知れません。実際に『なつやすみの巨匠』は子供時代の父との想い出がベースになっています。主人公シュンが父親から譲り受ける古いビデオカメラは、高校時代に僕が父から買ってもらったのと同じものです。

だからこの映画は父に見せたくて作ったと言っても過言ではありません。でもそれでいいんです。いつだって人を動かすのは個人的な理由なんですから。

画像1

盟友・中島良とのタッグ

こういった想いから2013年、自ら製作に携わることを決意しました。文字通り、ゼロからの挑戦です。

ただ、僕には映像を撮るセンスも、監督としてスタッフを率いる度量もありません。脚本を書くしか能のない人間です。そこへ現れたのが、若きディレクターの中島良でした。

彼とはかつて映画『RISE UP』(出演:林遣都、山下リオ、仲野太賀)でタッグを組んだ間柄です。彼もまた映画業界の現状に危機感を抱いており、僕と志を共有してくれました。

こうして二人で自主映画を立ち上げることになったのですが、どこから手を付けたらいいものやら。
「何はなくとも、まずはお金ですよね」
我々はまず、当時まだ映画業界では珍しかったクラウドファンディングでの資金調達に挑戦することにしました。

次回はそのクラウドファンディングについて語ります。

よろしければサポートをお願いします。取材旅行等、今後の作品をより良いものにするための費用に充てたいと思います。