日本語話者にしかできない事
こんにちは、アイルランド在住会計士のつぐみです。
英語圏(他の外国語圏も)に住んでると、
「あー、日本語などというマイナー言語の国に生まれたの、ほんとアンラッキーだわ!!」と思っちゃう瞬間が必ずあります。
でも日本語にも良いところはあるよって話を2つ。
①虫の音
英語圏の人たちは、コオロギなどの心地よい虫の音が聞こえない。あの秋を彩る音色が雑音にしか聞こえない。
言語的な背景が聴覚認識に影響を与えることが研究によって示されている。人々は自分たちの文化や言語に関連する音に対してより敏感になるのだ。
もちろん、英語圏の人々が虫の音を物理的に聞くことができないという意味ではなく、単にそれらの音に対する注意や認識が低いということ。日本人が、コロコロとかリンリンとか虫の音を正確に表現するための語彙を持っている一方で、英語話者はそれらの語彙が不足しているため、音を聞いてもそれを認識したり、重要視したりしない傾向があるらしい。
それを思うと、あんなにたくさんの虫の音や擬態語、擬音語があるのは、日本人が日々の生活の多様な音を愛でて、大切にしているからではないかとうかがえる。
②エンジニアの発見
Disneyの F1ドキュメンタリーにてあったエピソード。ホンダの日本人エンジニアが誰も見つけられなかったマシンの欠陥原因を見つける。
そのきっかけは、テクニカルな内容の英語原文ではなく日本語訳を読んだこと。英語にはない日本語の補完的翻訳が、新たな発見につながったらしい。これって、言語間を行き来することのメリットをよく示してると思う。
マシンの動作異常の原因を探っていたが誰も見つけられない。日本人エンジニアが、技術文書を精査する中で、英語では見落としていた微細なニュアンスが日本語訳を通じて明確になったらしい。日本語の翻訳には英語では表現しきれない微妙な違いが含まれていて、その補完的な情報が問題解決の鍵となったとか。
翻訳って単なる言葉の置き換えじゃなくて、それぞれの言語には独自の表現方法や文化的背景があって、それが問題解決や新たな発見に繋がることがある。このホンダのエンジニアの例はその典型的な事例と言える。技術の世界でも、異なる言語や文化に触れることが新たな視点をもたらし、問題解決の糸口になることがある。
こういう事例を見ると、言語の壁を越えて情報を収集・解析することの重要性が改めて浮き彫りになる。グローバルな視点で物事を見れば、技術革新や問題解決の可能性はさらに広がる。言語間を行き来するメリットは、技術だけでなく、ビジネスや日常生活のあらゆる面で役立つものだ(と信じたい)。
多様性はやはり世界にとって意味がある。
外国暮らしが長くなり、日本人の空気読む能力とか落ちてきてるけど、日本語能力や日本人の美徳はなんとか保って行きたいと思ったり思わなかったり。