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#458 自分との"距離"がある人に対して、自分と同じ「人」だと考える想像力が薄れるのではないか説

 私は学生の頃、先生に対する敬意に欠けた大変不遜な生徒でした。大学になって中高の友人との飲み会で昔話に花を咲かせる時も、自身がお世話になった先生を呼び捨てにしていたことを思い出します。

 自分が教員になっていつからか、友人たちと飲む時に、彼らが先生のことを「呼び捨て」にしていることに違和感を感じるようになります。それは、自分が同じ職についたということもあるでしょうが、先生が血の通った一人の「人間」であり、その人たちが職場は違えども、なかなか大変な教育現場で必死に戦っていることに対する敬意を抱くようになった。言い換えれば、生徒と教員という記号的な関係が、「人と人」との関係に変化したのだと思ったのです。

 私は、人は自分との距離がある人に対して、自分と同じ一人の「人」だと考える想像力が薄れるのではないかという仮説を立てています。その人が自分と同じ誰かに大切にして欲しい一人の人であると真剣に思うことは、私たち自身の彼らへの言葉や行動をよりよくしてくれるのではないか。

 今、私はテレビやメディアに出てくる人たちにも、あえて敬称をつけています。それに慣れてくると、人が簡単にそのような人たちを呼び捨てにすることに気持ち悪さを感じるようになる。そして、その気持ち悪さを大事にしたいとも思っているのです。

 

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