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#596 ぶつかることを恐れない

 恋人やパートナーと喧嘩をした時、人は時として「やり過ごす」という方法を取るかもしれません。喧嘩は人を感情的にさせ、適切な表現ができずに相手を攻撃してしまうこともある。だからこそ、一旦冷静になるために時間を置くことはアンガーマネジメントの観点からも大事な選択です。しかし、時間を置いて、その問題の本質を「置き去り」にしたままでは、本当の解決にはなりません。

 個人的には、人と人とがより深い関係性を築いていく中で、何かしらの衝突を避けることができないと感じています。人は何か、衝突することが悪いことのように感じる傾向があるかもしれませんが、本当によくないのは、衝突を必要以上に回避しようとして、結果、その問題から目を背けることにあります。

 私たちはお互いの衝突の中から、互いの価値観や意見を交換し、それを尊重しあうことで信頼関係を深めていきます。衝突すること自体を諦めたり、衝突することから逃げてしまえば、厳しい言い方をすれば、その人と、それ以上の関係性を築くことは不可能だと言えるでしょう。

 『モーリーの警鐘。″NIMBY″的な発想で問題を「先送り」し続けてきた日本社会の限界』という記事を見つめました。

 

記事の中では、国際ジャーナリスト・モーリー・ロバートソンは、「NIMBY(=Not In My Backyard:うちの裏庭には置かないでくれ)」という表現を用いつつ、長年しみついた日本社会の"現実逃避体質"の問題点を指摘しています。

 今やアメリカにとっても日米同盟が極めて重要であることは間違いありませんが、本質的にこの同盟は、アメリカが兵隊の命を含む軍事力を提供し、その代わり日本は中国などとの戦争が起きた際に「自国が戦場になる」という負担を提供するものです。(中略)しかしながら、日本のマジョリティはそのことを深く考えないまま受け入れ、その代わり経済成長にフルコミットすることで、現在の豊かさを手に入れました。視点を変えていうなら、日本は自らの意思で「唯一の戦争放棄国」となったわけでもなければ、「超大国アメリカの重要なパートナー」となったわけでもない。(中略)自ら打ち立てたナショナル・アイデンティティなき国、しかし戦後40年、50年あたりまではほぼすべてがうまくいっているように見えた稀有な国。その日本は今、安定が消え去りつつある現代に適応できずにいるように見えます。

 日本の政治的問題、学校教育の問題、そして私たちの人との関係性の問題も、全て都合の悪いことに蓋をして、その周辺ばかりをつつくような過去のありかたが、今まさに問題となっているのです。

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