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#508 児童・生徒の、児童・生徒による、児童・生徒のための学校

 「児童・生徒中心の学校」は、1900年代初頭にヨーロッパを中心に起こった新教育運動の中ですでに出現していた概念です。

現在では児童・生徒の人権を基盤として主体性を育む教育の形を各学校は模索する必要があると言える。旧態依然のままでは、時代に取り残されてしまうのです。
 
 一方、児童・生徒の中心の学校を作るということは、最後の最後彼らに任せるということ。それはつまり、彼ら自身が「より良い学校を自分たちで作る」という意思のもとに成り立ちます。

 『51年間「生徒会長」がいなかった高校で起きた「生徒会改革」 疑問を持って動き出した生徒たち』という記事を見つけました。

 宮城県立仙台三高では、その歴史的背景から生徒会長が長年不在だったそう。学校運営に主体的に関わりたいという生徒の意思と、その意思によって行われた運動が、民主主義の手続きを踏んで、身を結んだことの意義は非常に大きいように感じる。

 徐々に生徒会制度に関心を持つ生徒は増え、2022年5月の生徒総会でついに「生徒会長制への移行」が議題に上る。質疑応答では多くの生徒が発言し、議論は白熱。予定時間を大幅に超過しても総会は続いた。無関心だった生徒たちも、生徒会の問題を自分事として捉えるようになっていた。

 とあるように、彼らの学校を自分たちで作っていくことへの熱意が徐々に人を動かしていく過程がある。

 学校はそれぞれの建学の精神のもとに、様々な教育環境を提供することがその義務であるでしょう。一方、建学の精神の解釈は時代と共に変化をします。その解釈をする主体性は決して教員ではなく、児童・生徒側にあるべきである。そんなことを思うのです。


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