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#514 世界の解釈を自分で探す冒険

 世の中は、客観的事実とその事実に対する主観的解釈で成り立っていると言えます。

 例えば、「人を殺したらいけない」という価値観は普遍的ではありません。人間の歴史を振り返れば、人の命の価値が低いものであった時代の方が長いのですから。現代における事実は、「人を殺したら刑事罰を受ける」ことですが、「人を殺すことは悪いこと」という認識は時代によって変化するのです。

 世の中には、人の分だけ「正しさ」があるし、そしていかなる正しさにも普遍性はない。だからこそ、自分の「正しさ」を見つけるためには、様々な学びを通じなければならないし、ましてや誰かに決められた正しさを信じるほど危険なものはありません。

ライターである町中華氏の「私はもう誰かに正解を求めない。アコーディオン教室で教訓を得た」というコラムを見つけました。

 アコーディオンを習い始めた町中華氏は、先生の言うことを信じるあまり、徐々に「自分」という主体が消えていっていることを先生本人に指摘されてしまいます。

 「先生はすごい! 先生の言うとおりに鍛錬を積めば、より高みを目指せる」。そう思った私は次の曲や読むべき本など、先生を質問攻めにした。そして投げかけられたのが、「正しさにこだわりすぎじゃないですか? 正しさを他人に委ねないほうがいいですよ。なんの曲を弾いて、どんな本を読むか。人に解を求めるばかりで、自分で試して失敗する覚悟がないなら、辞めた方がいいと思います」という言葉。独学でアコーディオンを極める先生から見て、私の姿勢が甘ったれに見えたのだろう。アコーディオンは、演奏人口の少なさ故に確立された指導法が他の楽器ほど広まっていない。だから奏者は、手探りで探求する姿勢が問われる。

 私たちは自分自身の学びと自分自身の解釈によって、世界を定義していきます。だからこそ面白いし、だからこそ世界は多様なのであり、だからこそ一人ひとりの人間が「宇宙」なのです。

 なあ、世界のありようを他者の解釈に委ねるより、自分で探した方が楽しいだろ?


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