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#429 世界の教育に目を向ける

 今世界には現在192の国が存在し、それぞれの国に独自の教育のあり方が存在するでしょう。多様な教育の姿は、教育の正解がないことを明示し、だからこそ、多くの教育の姿を学び、その良い部分を国民にとって最も利益のある形に調合することが求められると感じています。

『ニュージーランドから見た、いつまでもアップデートされない日本の教育《楽しいよりも頑張ることが大切、は正しいのか》』という記事を見つけました。

 「頑張る」を重視する日本と、「楽しさ」を重視するニュージーランドの教育の「出発点」の違いを指摘。従来の日本では、「苦しいことを頑張らせること」で児童・生徒の学力や、それに関連する様々な能力を伸ばしてきたとう感覚がありますが、15歳の基礎学力を測るOECDのPISAテストの結果は、両国ともトップ20内に位置付けられる一方、『エコノミスト』誌が発表する「未来のための教育指数」のリポートでは、ニュージーランド教育のほうが日本よりも遥かに高く評価されていると記事の中では述べられています。

 私たちは生きていく上で「頑張らなければならない」ことはたくさんあると個人的には思う。ここで問題なのは、「頑張る」ことがいわゆる主体的なものかどうかと言うこと。例えば、今私が行っている活動は、誰からも強制されない自分自身の意思をそのスタートになっています。私には達成したい目標があり、その目標に向かって日々「頑張らなければなりません。」苦手なこと・やりたくないこと・学ばなければならないこと・苦しいことはたくさんあります。しかし、その根底には自分のやりたいこと=楽しさが存在し、その気持ちがあるからこそ、苦しいことを乗り越えられる側面がある。

 これは鶏が先が卵が先か理論とも繋がることでもある。「苦しさ」を乗り越えた先に「楽しさ」があることもある。それはある意味、国家の「思想」とも繋がるのかもしれません。逆に言えば、思想は普遍的なものではないし、時代と共に、そして、より良いものを求める中で変化をする。

 頑張ることを否定するのではなく、楽しさの要素を増やす作業が、今の日本の教育に求められると感じています。

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