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ギフト

扉の写真は、今、部屋に飾っている写真の額装です。

繊細な花びらは、いつか枯れて、死がやってくるのですが、

その死は、「真っ暗」、無くなるという意味の「無」ではないのではと思っています。

人間であれば、生きている間は皮膚という袋に引き寄せ、袋の中に保つことができていたエネルギー。

そのエネルギーが無くなることで、皮膚という輪郭がぼやけて、その存在が、この世界全体に散らばり、世界と混然一体となる。

もしかして死とは、そんなことなのではと思い、輪郭が解き放たれていくような写真を撮りたいと模索しています。


部屋に飾って、毎日眺めながら、何か違う景色が見えるかなと遊んでいます。


また、この写真は、和紙にプリントしたので、

日に日にインクと紙が馴染んで、風合いや色の濃淡が変化していくのも楽しみです。


さて、タイトルのギフト。

実はこのお花は、先月の誕生日プレゼントとしてもらった花束の中のひとつのお花でした。

もらった花束はこんな感じ。

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ここから、扉の写真をつくって、額装したこの下の写真を

プレゼントしてくれた方にお礼のメッセージを添えて送りました。

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すると、その方は喜んでくれて、「新しい楽しみ方で新鮮!」とのこと。


さて、これは、誰から誰へのギフトなのでしょう。

そもそも、この写真を「私がつくった」と言っていいのかどうかも、よくわからなくなりました。


昨日、ギフトに関して、いろんな方のお話を伺う機会があったのですが、まだ答えは得られていません。


もし、ギフトと呼ぶなら、

花束から、額装の写真をつくることができる能力を授かったこと。

それを送り合うことに価値を感じ、たのしめる友人知人に恵まれたこと。

それがギフトなのかもと、今のところ、そう思っています。


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