フォトグラファーのプロ・アマ問題と、仕事とはそもそもなんだったかについて

いやタイトルなっが。

休みばっかりでどうでも良いことをやり尽くした結果、こじらせた事ばかり最近考えています。
主題のようなこと。

noteはじめて1週間ほど、写真関連で色んな人の記事を読んでみました。そこから改めて自分のやっていきたいことが、世の中と照らし合わせて少しハッキリしてきた気がします。
これだけでもnoteやって良かったと思う。

そんなこんなで今日はこういう事を書く。

【プロ・アマ問題】

死ぬほど議論され倒してるやつです。
もうとっくに搾りに搾られてカスカスです。
ぼくはこの話を、最後の一滴まで搾り尽くすというより、ちょっと潤いを与えていこうと思っています。(謎)

潤いという事で、こないだ撮った乳液の写真をば。
背景は別撮りして後から合成。

【なんで今さらこの話ww】

簡単に言えば、自分のためです。笑
写真を生業にすることを目指した自分の整理のため。また最後に説明します。

まず簡単に僕のプロ・アマの認識を言ってしまえば、
プロ=お金もらって撮ってる(副業含む)
アマ=お金もらってない
です。

めっちゃ普通。
こんなんじゃダメだ。もっと新たな視点がいる。

付け加えるなら、
双方向性があるかどうか
でしょうか。
視点として新しくはないけど、ここだと思います。

写真のプロたちを沢山見られる場所で働くいま、また過去に自分が(副業として)カメラマンを経験した中で、実際にそう感じてきました。

【お前はプロなのか、何なのか】

自分が何をしてるかというと、スタジオという所でアシスタントとして働きつつ、カメラマンを目指しているところです。
「スタジオマン」と言われます。

「街の写真館などの、強い版」とでも言いますか。雑誌や広告の撮影をするために、カメラマンやその他お客さんが場所と機材を目当てにやって来るのです。自分はアシスタントスタッフとして、その人達をスタジオで迎えサポートする。そんな仕事。

まあそうです。要するにいまはアマです
そして今の職場に来る前に、副業でプロをやってました

自分は普通に四年制大学(文系)を出て、一般企業で営業を3年間やってました。
でも、
①配属の関係で地元を離れ、休日が暇すぎる
②営業の仕事から、成長の実感が湧かない※
③趣味で撮るだけだと、出来ることに限界がある
の3点を理由に、副業として写真館でバイトをし始めました。
会社に黙ってやってたので、普通ではないと言えばそうですが、いまどき特別なことでもないと思います。
かくして、お金をもらいつつ写真を上達させていく環境に身を置けることになりました。


ダブルワークしていた1年間は本当にハッピーでしかなかった。本業で安定収入を得て、副業で確かな成長の実感を得る。(あと写真館はお客さんの反応がダイレクトに感じられるから、モメンタムが爆上がりする)
まじで今のところ人生で2番目に充実していて意味があった時間でした。1番は幸いにして、今です。

なんの話しでしたっけ。
そうプロ・アマの話

【金銭の授受】

なんか賄賂みたいな表現になったな。
でもここはポイントだと思います。

お金を貰えるってことは誰かに求められたという事です。
お金を貰えないということは求められていないという事。
薄いな。でもやっぱそうですよ。

ただ、それだけだと少し足りない気がする。

【双方向性と(自分の)仕事観】

さらにここに双方向性も大切な要素として入ります。なぜか?意識ってやつです。

他人からの反応、要求に答えられているか、あるいは的を射ていない事をしているのか。自分が撮る写真のゴールが、自分以外の中に(も)ある。他人のゴールに(も)近づけていくための努力をしていこうという意欲、しなければいけないという状況と切迫感。

これがプロ意識ってやつだと思います。
最低限、仕事にはこれがないといけないんじゃないでしょうか。
(本質的には、上達する気の無い人は存在しないんですが、そこはまた別のお話)

【副業でもプロな理由】

でも副業がプロってどゆこと?
安定収入得てたらプロとは言えなくね?というのも分かります。でも経験したので言わせてください。
副業だとしてもプロです

写真館で働いていて、写真の魅力を感じる場面はさらに増えました。自分が「良い!」と思った瞬間が共感してもらえるのは凄く嬉しかった。

そして仕事として写真に向き合うことの大変さを、喜びの倍以上、感じました。

「すごーい!さすがプロ!」という一言。
「プロだもん、きっと凄いよー?」という一言。

罵倒してくるお客さんは流石にいませんし、写真館に来る以上はなかなかに幸せ満天な人が多かったです。これらの言葉も、その場面でいえばお褒めの言葉であり、盛り上げる一言に過ぎません。
それでも上記のような言葉を聞くたびに感じました。

成功し続けなければいけない、失敗は許されないというプレッシャーです。

たとえ副業でも、誰かに求められるゴールが、反応があるというなら、それはプロと言えるはずです。

【プロ意識あるアマチュアの存在】

ここが話をややこしくしてきたんだと思います。
諸悪の根源みたいな表現してすみません。
いわゆる「作家」にあたる人達です。

お金は貰わずに、最高に上手い写真を撮っては写真賞やSNSで爆跳ねしている方達を指します。

でも、やはりあの人達はアマチュアです。
お金を貰っていないから

「写真賞で賞金出るじゃん」、「ストックフォトとかでお金もらえるじゃん」という考えもありますが、今度は双方向性の問題になります。

写真賞の賞金は、その人がその人の感性で撮った写真が事後的に他の人にも認められて得られるものです。
ストックフォトも同じく。撮ったあとの写真に対して、良ければ購入する。そうでなければ購入しない、という結果だけが残るからです。

共通しているのは、他人のゴールを本質的に知ることが出来ず、そのズレを修正してほしいという反応も来ないということ

たしかにストックフォトは二次利用しやすい素材を目指して撮られてはいますので、他人のゴールを探ってはいます。が、やはり撮ったものに対しての反応は、買うか買わないかというだけ。求められる何が欠けているのか認識して変えていくことには繋がらないのです。

【改&締め・なんで今さらこの話ww】

改めて言いますが、簡単に言えば自分のためです。
作家としてだけ写真と触れ合うことに限界を感じた自分のため。
仕事として写真をやることの楽しみを知り、その道を行くと決めた自分の整理のため。また戒めのため。

写真というのは大抵、作家的な考えから始めるものだと思います。
カメラを持ったらズシッとして、ガシャっとシャッター切ったらさっきの光景が何か輝いて見えている!ほとんどの人はこんな感じの体験から写真を撮り始めたのではないでしょうか?(道具としてカッコいいからという意見も認めます。)

これをモチベーションを維持しつつ続けていくのはいまの時代、簡単であり残酷です。
容易にSNSに挙げられる。そして他人の撮った写真の上手さに打ちひしがれる。努力して近付こうとする。 ……

「もう自分は作家として自分の写真を追い込んでいくことは出来ないんじゃないか」という恐怖があります。
何に縛られることなく恐ろしいレベルの反復をして、変わり続けている感性です。なまじ生業にすることを志して写真に触れてしまったが最期、もうあの人達と同じ土俵には乗れないと思います。

自分はシャッターを切ること自体が好きです。そして微妙な要素で簡単に変わっていく繊細さも写真の魅力だと思っています。
でも普通の社会人として生きていた期間に感じたのは、誰かに求められたことを理解してそれに応える努力をするのは楽しいということ。(そしてコッソリ自分なりの味付けをして提供するのはもっと楽しいということ)

なんかゴチャゴチャしてきましたね。
長すぎて意味わかんなくなってきました。

色んな感覚が混ざりあって、いまがあるんです。
最近勘づいてきました。人生なんてどの道通っても辛さはあります。笑

仕事として写真をやると決めた自分の、ケジメ的なnoteでした。笑
興味あれば目指してみてください。

※営業の仕事から、成長の実感が湧かない
個人の感想です。自分だけでやった成果じゃないとか、目に見えて何か技術が身についたという実感が湧かないから長く続ける魅力を感じられませんでした。
でも「他人と生きている、生きていくということ」を理解するために絶対必要だったとも思うので、表現は難しいところです。後悔はしてません。