人生はゲームだ(後編)
松原 健二((株)SNK代表取締役社長CEO)
前号の兄の巻頭コラム「人生はゲームだ」を繋げていく.最初に本格的にプログラムを書いたのは1984年の卒業研究だった.元岡達先生の研究室で「プログラミング言語C」を片手にviに向かうと,世話好きな先輩がさまざまなテクニックを教えてくれた.コンパイルをバックグラウンドで走らせるとRogueをプレイした.自動生成のダンジョン,暗闇に現れるアイテムやモンスター,飽きのこないゲームデザインは今でも色褪せない傑作だ.経営者としてゲーム開発を承認するかは最も難しい判断だ.最近のゲームは数十億円の開発費が珍しくない.そのゲームが楽しいか?というモノサシにはRogueを遊んだ経験が活きている.
先生からは博士進学を勧められた.自分はアカデミックのタイプではないと日立製作所へ就職を決めた.国分寺の研究所から誘いを受け,療養中の先生へ相談に伺うと,日立なら工場へ行け,その方が大きい仕事ができるぞと言われた.先生とはそれが最後,10日後にお亡くなりになった.研究所へ頭を下げ,秦野市の工場に就職した.メインフレームのCPU開発に配属されパイプライン制御を担当した.プログラムが自身を書き換えるPSC(Program Store Conflict)という仕様があった.主記憶が数キロバイトだったウン十年前のPSCプログラムが,顧客先ではまだ現役だった.どうやって他社マシンよりも高速化するか,何カ月もかけて考えた.処理速度だけでなく,トランジスタ数,伝搬時間,消費電力を満たすよう試行錯誤を繰り返した.ちょっと乱暴だが,モノ作りという点ではCPUもゲームも通じる点があると思う.
2001年,インターネットにかかわる仕事を探す中で『信長の野望』のコーエー(現:コーエーテクモゲームス)に出会いゲーム業界に入った.オンラインゲーム事業部長に就任したが,ドラクエも知らないゲーム音痴,用語も分からず話が噛み合わない.仕事の合間を見つけてはゲームをプレイした.周囲には「真面目に仕事している」と映ったようだ.5年を過ぎたころ,起業してオンラインデータの解析サービスを始めようとした.辞表も受理され退職日も迫った折,創業者に説得され辞めることを止めてコーエーの社長を引き受けた.土壇場の逆転に,ハラハラさせないでくださいとあちこちで言われた.
コーエーの後,ジンガジャパン,セガとゲーム業界で社長を務め2020年に退任した.SNKは格闘ゲーム会社の老舗でサウジアラビアの傘下となっていた.オーナーは皇太子兼首相,熱烈なゲームファンで,1990年代の輝きを超えるSNKにしてほしいと言われ,経営の前線に戻ることにした.10年で世界トップ10パブリッシャに入るという壮大な目標を掲げている.
振り返ると,若いころには想像もしなかったキャリアを重ねてきた.節目ごとに新たなダンジョン(仕事)に入り,モンスター(試練)にも遭遇したが,さまざまな人との出会いとご縁に助けていただいた.感謝の気持ちを忘れずに今後も精進したい.
(「情報処理」2023年12月号掲載)