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【IPPUDO Paris】France事業部長 満岡 力さんインタビュー

こんにちは、一風堂note編集部です。この記事では、一風堂で”はたらくひと”にフォーカスを当ててお届けします。今回は、2021年7月現在、IPPUDO EU事業本部・France(フランス)事業部長「満岡 力(みつおか ちから)」さんをご紹介します。

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略歴

満岡 力(CHIKARA MITSUOKA)
EU事業本部 France事業部 事業部長、佐賀県出身
【国内】
2002年、バンド活動の傍ら、山王工場(福岡県)へアルバイトとして入社。製麺やスープの製造経験を積む。
2006年2月、新設の横浜工場(神奈川県)へ移動。国内イベントに参加。2008年1月、製麺室のチームリーダー就任。
2009年9月、山王工場において、山王工場長に就任。
2014年1月、株式会社 渡辺製麺 商品本部 本部長就任。国内製造の責任者となる。
【海外】
2009年、「IPPUDO NY」立ち上げ、製造部門のヘルプとして合計9カ月赴任。2010年以降、香港・中国・台湾の事業立ち上げ、シンガポールでの製造など、海外サポートと国内業務を兼務。
2013年10月、NY2号店のイベント「四季のラーメン」に参加。
2014年1月、フランス・パリにて「PARIS RAMEN WEEK」を主導する。
2015年、イタリア・ミラノ万博での催事への参加。
2016年7月、「IPPUDO France事業部」へ赴任。

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工場で麺と向き合う日々から、
フランス・パリでラーメンをお届けする毎日へ

_満岡さんが、力の源に入社された経緯について教えてください。

当時、佐賀県から福岡県に出てきて、バンドで一山当てようと考えていました。それでアルバイトを探していて、たまたま募集していたのが当時新設された山王工場の製造のアルバイトでした。そこからが、僕の力の源キャリアのスタートですね。

麺やスープの製造は奥が深く、毎日大変ながらも、麺づくりの楽しさに没頭していました。そのころの一風堂はラーメン博物館にも出店して、関東を中心に日本国内にどんどん展開していました。品質管理のためにも、スープや麺を作る工場が必要になってきていた時代でした。

新横浜(新羽)の工場が軌道に乗ってきたタイミングで、初めて東京や神奈川に出ました。標準語をうまく話すことが出来なくて、まさに田舎者の上京でした(笑)。その後、初めて役職がついて、製麺のチームリーダーになれたときは嬉しかったですね。

_ラーメンイベントにも参加されていたとお伺いしております。

はい、いまでこそ、ラーメンショーのような国内のラーメンイベントは当たり前にありますが、当時はとても珍しいもので、イベント部隊として抜擢されて、様々なイベントに参加させてもらいました。新しいイベントが始まると、準備、段取り、商品作り、発注、配送、イベントでの営業…、片付け、配送車で工場に戻る、そんな日々でした。

並行して、工場での製麺リーダーでもありましたので、一風堂で使用する製品の原料の見直し、設備投資、効率化、品質向上、安全衛生と、さらに会社が拡大するために必要なものを整えていきました。

イベントで外出していることも多かったので、この時代に報・連・相の重要さや、仲間と働く事の楽しさを学びました。イベントでも、製麺でもたくさんのことを吸収できた時間だったと振りかえります。

その後、2009年、IPPUDO NYの立ち上げ参加することになって。自身、海外初進出、英語に触れたのもその時期です(笑) 9カ月のNY生活を経て、シンガポール、台湾、香港と、海外立ち上げ組として食材調査から麺づくりに参加していました。ちなみに国内でも、山王工場(福岡県)の工場長になりました!

_国内の工場長も兼務されながら、どうやってパリにつながっていくのでしょうか。

会社が上場に向けて動いていく中で、国内の工場管理も大きくなっていきました。当時、グループ全体の製造、購買、品質管理を系列会社の「株式会社 渡辺製麺」で一括していて、「商品本部」がチームとしてできました。

新工場であったり、よりよい商品を開発したりと国内の動きが活発化していく中で、変わらず海外店舗の立ち上げのヘルプは行っていました。工場の型が整ってきたころ、2013年、IPPUDO NYの2号店「四季のラーメン-第2章-」の特別イベントが、僕をパリへと導いてくれました。

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四季のラーメンとは
2001年に福岡・大名本店でスタートしたラーメンイベント。提供する商品は、四季の息吹を盛り込んだ、一日限定の特別な一杯。春夏秋冬を一杯の丼に表現する「作品」とも言うべきラーメンで、その日だけのために、味・モチーフ・コンセプト・器すべてにこだわります。創業者・河原を筆頭に全国の一風堂から店長たちが本店に集結し、これまでに培ってきた技術と感性で、ラーメンに真っ向勝負を挑む「一風堂」を代表するイベントの一つ。

”マイナス”からのスタート、
NYイベントから怒涛のパリラーメンウィーク

_NYで行われた「四季のラーメン」イベントがフランス事業部のきっかけに?

はい、確かNYのイベントは2013年の10月、そこで「来年1月にパリでラーメンイベントするから」「PARIS RAMEN WEEKだ」という話がありまして、僕が主導することとなりました。

はじめは「準備期間が約3カ月」ということで頭がいっぱいでした。これまでのイベントは自社がメインの物が多かったのですが、パリのラーメンウィークは、経済産業省COOL JAPAN推進事業であるとのこと。一風堂をはじめとしたラーメン店、寿司、焼鳥の名店が現地に赴いて、日本食や、日本が誇るラーメン文化を紹介するものです。プレッシャーをすごく感じていて、どうしようと頭を抱えました。 実は、一度お断りしたんです。

しかし「お前にならできると思っている」「弱い部分も知っている、それでもこのイベントをやってもらいたい」との言葉で、「そうだな、よしやってみよう」と勇気を出してパリに乗り込みました。

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_満岡さんは、フランスにもともと馴染みが?

NY同様、全然ですよ。「PARIS RAMEN WEEK」の機会が、はじめてのフランスでした。当然のことフランス語は全く話せませんし、叩き上げた英語も日常会話・業務用の会話を理解できるくらいになったばかりで。ただ、海外の立ち上げ経験はあったのと、本当に「伝えたい」という気持ちがあれば不思議と伝わるものと信じていました。同じ言語を使っていても伝わらないときもあるので、一番大事なのは「この人にこれを伝えよう」という気持ちですね。

_海外のイベントでは、ラーメンを作るような設備は整っているのでしょうか?

いえいえ。店舗がある国ならまだしも、パリは当時未出店。乗り込んでみたところ、キッチンを借りたつもりがほぼ倉庫でした。イベントに参加する「ちばきや」さん、「とら食堂」、「ソラノイロ」…皆さんの顔が浮かびます。

食材を揃えるのも一苦労で。何がどこに売っているのか、味は日本の味に近いか、環境を整えるのにかなり苦心しました。よく「ゼロからのスタート」と言いますが、ゼロどころじゃない。いやあ、今思い出してもマイナスでした!

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一緒に先乗りしたチームと一緒に、どうにか日本で提供するレベルまで商品を整えることができました。代表の河原さんの試食でも、「うん、これでラーメンウィークはいけるだろう」の言葉ももらえてすこしほっとした場面もありました。 日本から参加する皆さんも現地入りし、食材はもちろん宿泊も無事完了して。「これで一安心かな…」と思いましたね。

ところが始まってみると、当然のようにトラブルが多く起こります。ガス・電気の調子が悪いとか、注文した食材が来ない、注文と違うモノがくる、しかしそれらは経験値と土壇場のアレンジでなんとか乗り越えました(笑)。

イベントの内容も、日ごとに、もっと楽しんでもらおう、ラーメンを届けよう、「今日は別の食材にしよう」と、カレーだ、おでんだ、とパリの人たちに日本の料理をより楽しんでいただける様にと、精一杯盛り上げていきました。

そして最終日は、全店でコラボしたラーメンも作りました。なんと、コラボラーメンはイベント開始10分前に完成です(笑)。このぎりぎりまでのこだわりが、まさに「商売人魂」ですよね!

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_会社にとっても、満岡さんにとっても、大事なイベントでしたね。

ええ、「PARIS RAMEN WEEK」は本当にすごいイベントでした。一風堂にとってはヨーロッパ圏への一歩になりましたし、僕にとっては、この「PARIS RAMEN WEEK」を乗り越えた経験があるから、どこまでも乗り越えていける、これからも大丈夫。そんな自信がつきました。

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_そしてそのままパリへ赴任が決まったのでしょうか?

いいえ、一度日本に戻り、山王工場で工場長として勤務していました。
2016年に、「日本の製造」を極めていくか「海外店舗(パリ)」を立ち上げるかの選択が上がりました。尊敬する大先輩からの「みっちゃん!パリで一緒にミシュランの星ばとるばい!」との熱いラブコールと後押しもあって、パリへ赴任する事を決断しました。

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IPPUDO Parisでの日々
パリにおけるラーメンカルチャーとは

_フランス・パリでのラーメンへの印象はいかがですか。

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