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バイキングでデザートは最後に食べたいタイプだった。


「気分で。」と答える人が苦手だった。


先が見えない感じ、決めたがらない優柔不断な感じ、
そういう自分や相手に対して無責任な言葉に聞こえて仕方なかった。

例えばご飯。

朝は朝ごはんを食べたいし、
昼は昼ごはんを食べたい、
もちろん夜には夜ごはんを食べたい。

バイキングに行って途中でデザートを食べた後に締めのパスタを食べるなんて人間じゃないと思っていたし(言い方よ)、飲食店に行ってわざわざ塩コショウを店員さんに頼むなんて無礼者の極み(言い方よ)でありえない。そんなタイプだった。

当たり前のことを当たり前だと思っていたある日、
衝撃的な言葉と出会った。

「なんでそんなに、昼ご飯とか晩ご飯とか気にするの?おなかがすいたら食べたらいいじゃん。それが食事じゃないん?」

ぎょっとした。
外出先で「今日の晩御飯どうする?」と聞いた後、パートナー言われた言葉。16時くらいで、ちょうど晩御飯ともいえない時間で私は悩んでいた。

少し考えてみたが、たしかに食事とは「食べる」ことを最大の目的とした行為だ。つまり、「食べたい」ときに「食べる」ことが至極全うな行為だった。健康的かどうかはさておき。

そうすると、彼の言っていることも何となく腑に落ちた。

たぶんだが、わたしは今まで、「晩御飯」をたべるために「食事」をしていた。
それは一種の習慣のようなもので、悪いわけでもないのだろうけど、
目的と手法がすり替わってしまっていたのかもしれないと気づいた。

つまりこの思い込みは、自分の欲望よりも「体(てい)」を気にしていたのかもしれないと、ギクッとした。

もしかすると、わたしはわたしのワガママを大切にできていなかったのか。


親指がささくれているけど気づかずに、何か痛いなと思っていた、よく見るとうっすら血がにじんでいた、そんな感じ。


そんな私に変化があった。
先日、後輩にある質問をされたとき。

「気分で」と、あの私が答えたのだ。

自分に驚いた。
なぜか、すごく、心地よかった。
言えちゃった~!!(IKKO風)という感じ。
(後輩が困ってそうだったので、その場で決めたけど。)

気分で決めるって、一見無責任だけど、
自分の本音がそうであれば、
とても責任を伴う発言だと思えるようになった。

だれもが靴の中に入った小石のような違和感を、
日々の生活の中で気づかず感じていると思う。

だから時々、自分の靴の中を見てあげようと思う。
小石が入ってたら、立ち止まって、とんとんと出す。
そしてまた歩き出せたら、
もっと長く、ご機嫌で、いられるから。

相手に合わせてしまう人、
その場では決まらない時、悩んでいる時、今は分からない時は、
「気分で」と言ってみてほしい。

少し、素直になった自分に出会えるかもしれない。
そして、いえた時にはそんな自分をほめてあげて欲しい。




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