怒りと悲しみに翻弄され続ける無様な人生を遺書がわりに書き綴っていく。
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一匹狼の迷走
【経歴】 ・諸般の事情により家庭崩壊(目に頭突きをされたり、エアガンで首を撃たれたり、殴る蹴るの暴力を受ける) ・小学校高学年~中学生時代に諸般の事情により自殺ばかり考える ・人間不信をこじらせ孤立、高校中退 ・16歳から仕事を転々とする ・30回以上の転職歴、引っ越し貧乏 ・過労で肺に穴が開き失業 ・ブラック会社でアスベストを大量吸引し怒りの退職 ・長野県のレタス農家で奴隷のような扱いを受け夜逃げをする ・世の中に失望し自暴自棄になり始める ・人間関係がうまく築けず適応障害
以前別の記事にも記載したが、私が小学5~6年のときに〇〇という暴力教師が国語、数学、理科、図工を担当し虐待に近い酷い仕打ちを受けた。 20年近く経つ今でも当時のことを鮮明に覚えている。 この男は質問に答えられない者、手を上げない者に罰ゲーム感覚で暴力を振るっていた。 1メートル物差しで頭を叩く、脅す、強い力でげんこつをする、ペンで額を叩くデコペン、つねり、涙が出るような力で耳を引っ張り侮辱する・・ また、1回目の質問に答えられない者、手を上げられない者は席を立つ、次も挙手、答
私は今までレオパレスや賃貸マンションで騒音トラブルに悩まされることが多く、もう静かに暮らしたいと願い家賃3万2千円の一軒家の平屋に引っ越した。 築50年でかなり古いのだが、ダイニングの床と浴室、トイレをリフォームしてあり畳もそれほど傷んでいる印象はなかった。 しかし実際に住んでみると水道水は白く濁っており、畳の部屋にいると身体中痒くなり赤く腫れる。 明らかにダニの仕業である。 ドラッグストアでダニアーススプレーを買い、畳に針を差し込んでスプレーをし畳表面にも噴霧したが、それで
かなり昔の話になるが(22歳くらい)地元のホテルのプールで監視員の期間限定アルバイトを夏にしていたことがある。 勤務時間は8時から17時までだったと思う。 仕事内容は木製の監視台に座って客の子供が溺れてないか監視すること、溺れた子供がいたら救助すること、簡単な清掃、決まった時間に塩素を排水溝に入れること、強風時にパラソルを畳むことだった。 そこは海に近いホテルの屋外プールなので風が強いとテーブルに備え付けられているパラソルが飛んで危ないことが多々あった。 強風時には「風が強
2021年頃(2年程前)の出来事だが、私はレオパレスに住んでおり隣人の作業員風の男と大喧嘩をしたことがある。 事の発端は隣に新しく引っ越してきた20代半ばと思われる男が初日から女を連れ込み深夜1時過ぎまで笑い声をあげて騒いでいたことだ。 当時の私は造園業をしていてくたくたに疲れていて夜10時には寝るのだが、この隣人の騒音のせいで眠れるはずもない。 ずっと我慢していたが深夜0時を過ぎても静かにならないので、直接注意しに行った。 私は「うるさいです。寝てるんで静かにしてくれますか
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仕事を転々とし履歴書も酷い有様で、流れ流れてごみ収集の仕事をすることになった。当時21歳か22歳だったと思う。 勤務先の会社は葬儀、産業廃棄物処理業、農業、飲食店、介護、タクシー事業、清掃、広告、印刷、旅行代理店、市のごみ収集、レンタルスペース・・・と多角経営でいろんな事業をしていた。
私はとにかく仕事が長続きしなかった。 理由は色々あるのだが、もう自分で自分を苦しめたくないとの心境だった気がする。 造船会社に就職したときは、廃材を拾い集めて焼却炉で燃やすのが私の仕事だったが、濡れていて燃えないためシンナーをぶっかけるのだが、シンナーの煙で鼻と目が常に痛くて涙と鼻水が止まらなったので4日で辞めた。 パン屋の販売の仕事は声が小さい元気がないと言われたが元気よく(気力がない)できなくて向いてない周りに迷惑をかけると思い1日で辞めた。 アロエの加工、運搬の仕事は3
私が19歳の頃、長野県南佐久郡川上村にあるレタス農家の元で住み込みのアルバイトをすることになった。季節は5月だったか・・・ インターネットの求人サイトで三食付きで寮費無料という特典に魅力を感じ、電話で軽く話をして、面接もなく採用が決まった。 当時の私はいつか独立して農業という仕事をしたい、誰からも命令されず、自分一人で自由に自然の中でのびのびと暮らしたいと考えていた。 中古で買った40万円のミラジーノに作業着や着替えを入れたボストンバックを積み込み、ナビを頼りに初めて県外の長
2023年4月○○日。 私は30歳の誕生日を賃貸マンションの一室で孤独に過ごした。 妹と母からお祝いメッセージが来た以外は誰からも祝福されることはなく、誕生日ケーキもプレゼントも何もない。 もう孤独な人生にも慣れたはずだったが、虚しさが込み上げてくる。 SNSで見た元同級生たちは恋人や友人、家族に囲まれて幸せそうにしている。 今も昔も、楽しい人生を過ごせる人間と、苦しい人生を過ごす人間は生まれた環境、家庭によって決まっているのかもしれない。 見えない疫病神が不幸を呼び寄せてい