2023年筑波大学日本史第3問答案例

幕藩体制が安定し、文治主義的な傾向が強まる中、人々の社会における役割を説き、上下の身分秩序を重んじる儒学が江戸幕府に受容された。朱子学では、林羅山が徳川家康の侍講となり、徳川綱吉期に湯島聖堂が設置されると、林家は代々大学頭に任ぜられ、徳川家宣・家継期には新井白石、徳川吉宗期には室鳩巣がそれぞれ侍講として仕え、幕政に関与した。一方、朱子学を批判し、孔子・孟子の原典にかえろうとする古学が起こり、荻生徂徠は現実の諸問題を解決する方策を示す経世家としても活躍し、吉宗などに用いられて、幕政に関与した。寛政の改革期、幕府は聖堂における朱子学以外の儒学の講義や研究を禁止する寛政異学の禁を出して朱子学を正学と定め、柴野栗山ら寛政の三博士を幕府の儒者として起用するとともに、幕臣に朱子学を奨励し、朱子学の理解を試す学問吟味を実施した。寛政の改革後、聖堂学問所は昌平坂学問所と改称され、幕府直営の学問所となった。(400字)

太字は指定語句。寛政の改革期における学問吟味の記述は筑波大受験生はできなくてもよい。

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