vol.17:「ダンサー・イン・ザ・ダーク」や「ミッドサマー」の感想を「ハッピーエンドだ」と言うと驚かれる話
障害者家族エッセイストの川島田ユミヲです。
お寒うございますね。暦の上では大寒。そして私の誕生日イブなんですね(1月21日生まれ)。
冬生まれでも夏が好き、でおなじみの私です。私にこたつを与えないでください。我が家は弟のきよはるも
でも私が余りにもこたつ寝落ちばかりする&熱処理された足が乾燥してボリボリ掻いては血だらけになるので、数年前にこたつ制度を撤廃しました。
今はホットカーペットに毛布を掛けて冬を凌いでおります。
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閑話休題。
先述した通り、久々にゼッタイ映画館で観たい作品がある…!と思って上映する映画館を調べていたら、立川シネマシティで「ダンサー・イン・ザ・ダーク」の4Kデジタルリマスター版&極上音響上映がやっている事を知り、そういえば、と思ったのが表題でした。
2000年に公開された、鬼才ラース・フォン・トリアー監督×魂の歌姫ビョーク主演の作品。私これ映画館で観たのかどうだったか記憶が曖昧なんだけど、美しかったな~~~~。映像、楽曲、ビョークの歌声。
ストーリーそのものは、もちろんやり切れなさしかない。息子ジーンの目の手術のためにせっかくセルマが汗水流して貯めた大事な貯金を盗もうとした隣人のビル…!!そのビルをそうさせてしまうきっかけを作った浪費家の妻リンダも…!!まじでお前らよ~~~~!!!と、怒りの矛先を向けずにはいられないし、チェコからの移民だから、と逮捕され裁判にかけられるセルマが差別視されてしまう時代の背景ももどかしい。
更にはその裁判の過程で
「自身の障害を隠れ蓑にして、周囲の同情を買っていた」
なんて言われるもんだから…そりゃ確かに人を殺めてはダメ、ゼッタイだけどもさ…検察こわい…人間こわい…どうしてそうなるの…のオンパレードです。
ラストシーンも衝撃でしたね。初見時は悲しみしかなかった。
しかし、一緒に観た当時の友人がこう言ったのです。
「これはある意味、ハッピーエンドだと思う。」
最初びっくりした。けど、その先の言葉を聴いて納得した。
「セルマは今まで自分の妄想の中でしか歌って踊れなかった。けど最後は絞首台(ステージ)の上で、現実世界で見届け人(観客)が何人もいる前で歌うことが出来た。歌い終わって、両側からカーテン(緞帳)が閉まる。夢が叶ったんだと思う。」
そのラストにたどり着くまでは、あまりにも残酷な現実だった。息子ジーンの目の手術の事を周囲にも言わなかったのも、昔の日本にもあった所謂 “病気や障害を持つ人の存在を隠さざるを得ない” ような、人種差別や障害者差別という背景もあったのかもしれない。しかしそれを言わなかったことで裁判ではセルマの立場が不利になりまくって、死刑が確定してしまう。
その後、友人のキャシーやセルマに想いを寄せていたジェフのおかげで、セルマの死刑執行直前にジーンは手術を受けることができ視力は回復、失明するリスクを回避できた。
セルマが最も望んだ、息子ジーンの幸せ。
絞首台で恐怖に絶叫するセルマは見るに堪えなかったけれど、息子の幸せを願い、「最後から2番目の歌」を歌ったに違いない。というか、そう思いたい。
だから、この映画は、セルマにとってはハッピーエンドだった。そう思いたい、というより、そう思わずにはいられないのかもしれない。
もう22年前の映画なんだなぁ。この機会に見返してみようかな。
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加えて、映画「ミッドサマー」も。
2019年に公開された「いったい何を見せられているんだ」「ホルガ村どないなっとんねん」と言う気持ちにさせられつつ、その悪夢のような光景から目が離せない、エグみの境地なスリラー。
ダニーの心は確かにかき乱されていきますし、トリップしたもん勝ちかーいというツッコミはありますが、メイクイーンに選ばれた事により不安や恐怖から徐々に解放され、自分の居場所を見つけ、最後は絶叫したのちに笑顔で終わります。
この「ミッドサマー」で本当に象徴的なのが、残虐さですよね。え~~~~そこまでやらんでも~~~!もうやめてあげて~~~~~!!が繰り返されて、最終的には
「…我々は、一体なにを見せられていたんだ…」
という気持ちになる映画です。余談ですが、筆者は比較的、非現実的なグロテスクに耐性がある方だと自負しており、この「ミッドサマー」においてちょいちょい出てくる「うわっ」「オエッ」なシーンは結構大丈夫でした。現実においては今のところアッテストゥパンにも参加しないし、熊の皮を縫い付けられて着ぐるみのようになる事もないし、両目に黄色い花を挿して背中をどうにかされて吊るされる事もない。
でもその中で「何を見せられていたのか」を突き詰めると、主人公ダニーの中にある不安や恐怖、トラウマからの “解放” なんですよね。経緯や結果は信じがたいし常軌を逸していますが、それはダニーにとって良い結末なんだ、「ミッドサマー」はハッピーエンドなんだ、と思っています。
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上記2本を「ハッピーエンド」だと言うと
「うそーーーーん!」
「いやいやいや」
と言われる事もままあるのですが、共通するのは
“主人公にとって(主人公の気持ちになって)この物語はどうだったか?”
なんですよね。
「視力を失っていく病気だなんてかわいそう」
「何も殺さなくっても…」
「人種差別はダメ!障害者差別はダメ!」
「そっち行ったらみんな不幸になる!」
とか、バックグラウンドにフォーカスする事もあるけれど、そこ大前提で結果最終的には主人公がどうだったか、を考えたいなあ、と思うのです。
それは実生活にも共通する事。誰かのバックグラウンドに寄り添えるほど、実はみんなそんな余裕ないだろうし、そのバックグラウンドにテンプレートは存在しない。
障害を持っている人、悩みやトラウマを抱えている人、病気との向き合い方、それらがなく健やかに暮らしている人たちでも、善し悪しや好き嫌いの線引きは皆違う。ケースバイケースだ。
大事なのは、その人が見せる笑顔に寄り添えるかどうか。それで充分だと思う。
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映画鑑賞って、面白かったものはシンプルに「良かった」「素晴らしかった」「感動した」という言葉でも充分に魅力を伝えられるけど、例えば「つまらなかった」と思う作品だったり、今回取り上げた2本のような所謂 “衝撃作!” と謳われるものって、正直感想をどう伝えたらよいのか…この負の感情に、どう落とし前をつけたらいいものか…と思う事ってありませんか?
人によっては
「えー私は面白かったけどな~~~」
「いやそれはあの映画の良さをわかってないんだよ」
とか言われるのがちょっと怖かったり。私はあります。
↑このエッセイを始めたころ(エッセイとコラムの違いがわかんなくて序盤はコラムという表記です)、途中ホアキン・フェニックス版「JOKER」に関して書いているのですが、世間では
「JOKERサイコーだった!」
「JOKERめっちゃ泣けた」
という声が多数だったけど、私は楽しめなかった、という話。自分が穿った見方をしているんじゃないか、と、鑑賞直後は感想を言う事や書く事を、めっちゃ躊躇した。でもどうしたって気持ちは変わらないので、Facebookやnoteに書きました。
観終わった後に色々考えさせられる、持ち帰れる映画を観るのは
“自分の中の価値観の擦り合わせ” だな、と、これを書きながら思うのでした。
<完>
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ハードルがあるのは障害者だけじゃない。「私たちは健常者だから」と言うそこのあなただって、職場や家族間での対人関係だったり病気したり大変な事(ハードル)が沢山あるでしょ?という意味で、エッセイのタイトルは「世の中全員、障害者。」と言います。おススメ&サポートして頂けたら嬉しいです。