まだ形になっていない思考のメモ書き(2023年6月)

主体性が、感じられないのは、潜在意識に「自分をそのまま出してはいけない。」という類の思い込みがあるからだ。

ヒエラルキー型の教育機関、組織は、その類の思い込みを育み、効率よく管理・評価・統制する仕組みになっている。

そのお陰で得られている恩恵は、大きい。

一方で、ヒエラルキー型から自立分散型への挑戦は、組織でも教育機関でも既に始まっている。

今月受けたコーチング。

気が付いたら、行動で日常が埋め尽くされている。

価値を出さないと、居てはいけない。

行動の奥に、そんな過去のトラウマからの恐れや不安がみえた時には、「何もしない」ことを選択することにした。

世界を変えたいなら、まず自分が変わればいい。

日常の中に、余白がある世界に居たい。

恐れや不安から、余白を行動で埋めようとしたときに、あえて「何もしない」ことを意識すると、

「価値をださないと居てはいけない」

という恐れや不安から回避、抵抗する以外の行動が滲み出てくる。僕の場合は、相手を気遣う行動が滲み出てきた。

経済活動(行動)を最小限で成り立たせるという挑戦は、脱成長ともとれるが、世阿弥が風姿花伝に書いている真の花へ向かう成長とも捉えられる。

活動の判断基準に、利害や損得よりも美しさを重んじて、その審美眼を磨いていくという生き方は、しっくりくる。

同じ形に綺麗に整えられたものだけ選別されて、過剰に包装された食材が少しでも傷んだら見切り品となり、

食べ残されたら不要なゴミとなる日常の中にいて、多様性や"ありのままの自分" を肯定することは、そりゃあ、難しいよなあということを、海外への短期留学やリトリートで痛感した。

この課題への挑戦もいたるとろで進んでいて、希望を感じる。

オランダのinstockというレストランでは、一流シェフが、廃棄食材を美味しく、お洒落に蘇らせていた。

0➝100思考で絶望していても辛いので、少しづつ進んでいきたい。

今月から、らでぃっしゅぼーやのふぞろい野菜を頼んでみる。

こうした活動は、生産サイドにまわらないと、参加できないのでは?と思ってベランダ菜園したりしたけど、しっくりこなかった。

素敵な生産活動をしている方は増えている。

共感した物事を消費することで、その活動は広がっていく。

そんな自分の心から願う消費行動を選べる人が増える対話文化を広げていく。

センスとか、お洒落とか、そういう観点での美意識も大切だと思うし、憧れもあるけど、

コーチングや能などを学んで、それまで、どこかで味気なさを感じて、枯渇していた自分が潤っていくように感じる美意識は質感が異なる。

自然や生命の理や歴史や伝統などと、自分の命の繋がりを感じさせてくれる感覚。

昨日の能の稽古は面白かった。

・構えができていれば、その後の動きもスムーズに進む。
・最小限の動きで魅せることを目指す。
・型を覚えること、そのプロセスを共有することで相互理解が進む

チームビルディングに活かせそう。

型があることによって、むしろ個性が際立つのも面白かった。

自由にやっていたら、不得意なことを自分から出すことは、しないだろうと思う。

型を覚え初めの時は、得意と不得意が自ずと滲み出る。

得意も不得意もその人の魅力になる。

練習が進むにつれて、そのプロセスにも個性があることがわかってくる。

リトリートを広めるために、「仮名でなら」と受けたSPA!の取材。

今朝、前前職の上司から、
「SPA!にのってた鈴木春雄さんて、三浦さんですよね!社内で話題になり始めてますよ!」とのこと。

Twitterなどでは、叩かれたり、真意が伝わらなかったりで、落ち込んだりもしたが、

ネタになったなら、それはそれで良かった☺

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