短編小説「ヘアとかわいさと私」
「で? いい加減決まった?」
ミユキさんから声をかけられて、私は弱りきった顔を鏡に向ける。
「き・・・まらない・・」
私の目の前には絵の具箱のようなケースが開かれ、きれいにカラーされた髪のサンプルが並んでいる。ひとつひとつは15センチぐらいの房で、濃い色から薄い色へとグラデーションのように30個ほど配列されている。
19歳にして人生で初めて髪を染めることを決意した私は、美容院に鼻息荒く乗り込んできたのだけれど、どの色にするかでかれこれ20分ほど悩んでいる。平日の美容院はあまり混んでいない。窓が大きく取られた店内は秋の陽射しが気持ちいい。
「はぁ? まだ決まらないの? ノロマねぇ! じゃあ、もう私が決めてあげる。どんなのにしたいの? 言ってみな。どうせ『モテモテになれる色』とか言うつもりでしょ?」
ひどい。店長のミユキさんとは3年のつきあいになるとはいえ、あんまりだ。
「い、いいじゃんよ。モテたくってなにが悪いの?」
「全然いいけどね。ま、モテたいなら、この辺の色かな」
ミユキさんは右から3つめの明るい茶色の房を取り上げて、私の顔のそばに持ってくる。
「えー、ちょっと派手じゃない?」
「なにいってんの。派手なぐらいがいいんじゃない。だいたいねえ、結局男は派手な女が好きなのよ!」
始まった。ミユキさんの暴論には慣れてるつもりだけど、なんとか必死に食い下がる。
「な、なにそれ。根拠でもあるの?」
「あるわよ」
「なに?」
「キャバ嬢よ」
「はい~~?」
今年36歳になるミユキさんは、今年の流行色とかヘアスタイルとかよりも、色恋の話をするときのほうがだんぜん顔が輝く。
「キャバ嬢を見てみなさいよ。水商売っていうのは、結局男の性欲にダイレクトに訴えかけるのが仕事なわけ。そのキャバ嬢がこぞって茶髪で金髪のコテコテロールなんだから、男はそういう髪の女が好きってことなの。だってあの人たちなんて、男が『お!』って鼻の下を伸ばすかどうか、その瀬戸際でご飯食べてるのよ? それを否定できるの、あんた?」
「でも・・・」
「私だってね、いつかキャバクラ嬢がみーんな地味な髪型になったら、考えを改めるわよ」
「でもさ、でもさ、そんなの似合うとか似合わないとかあるじゃん」
「ない」
勢いに乗ったミユキさんは身もフタもない。
「そんなもの、ある程度かわいい子同士の微妙な差。あんたみたいなフツーの女の子が髪の色染めるって言ったら、勇気を出してどこまで明るくできるかってことなのよ」
そりゃ、どうせ私なんてフツーだけどさ。げんなりしてしまった私は自暴自棄気味に、列の一番上にあった透き通るようなプラチナブロンドの房を手にとって、顔に近づける。
「じゃあさ、これぐらいは? ミユキさんの言うことがほんとなら、いっそこれぐらいにしちゃおっかなあ」
と、ふざけてることがばれて、頭を軽くはたかれた。
「そんなの似合う子なかなかいないわよ。顔のつくりを外人にしてから出直しなさいな」
「そうかなあ。バービーみたいでかわいくないかなあ」
「あとね、それぐらい明るくするのは技術的にもけっこう大変よ。いっぺん脱色で真っ白にして、そこから色をつけるから値段も時間もすごーくかかる。髪へのダメージも半端ないし、メンテナンスも大変」
「あ、そうなの?」
「だいたいね。映画の中の白人さんのブロンド、あれもたいてい染めてああなってるんだからね。分かってるの?」
「そうなの? ブロンドって生まれつきブロンドじゃないの!?」
「まったく、なんにも知らないのね。有名なのはマリリン・モンローだけど、ハリウッドの女優だってほとんど染めてるでしょ。マドンナだって、ビヨンセだって、レディー・ガガだって、みんな染めてあの色よ、たぶんね。シャラポワだって地毛の色はけっこう暗いのよ。最近テレビで見たら手入れが行き届いてないみたいで、黒と銀のメッシュみたいになってたもの。ロシア人はああなると突然おばさんっぽくなるよね~。・・・ってなんの話だったっけ?」
「ブロンドはやめておけってこと?」
「あ、そうそう。あの人たちはそうはいっても日本人に比べたら元の髪の色が薄いから、ちょっと明るくすればブロンドっぽくなるのよ。日本人が茶色くするイメージで、ブロンドにしてるんでしょうね」
「そっか・・・。ねえ、いっそのこと黒いままで行くってどうかな?」
ふと思いついて提案してみる。
「うん、悪くないと思うよ。流行ってるし」
「ほんと? 流行ってるの? やっぱり、黒髪だよね~! アジアンビューティーって感じでかっこいいし」
「は? 何言ってんの? エキゾチックなアジアンビューティーが好きな男なんて、いないから。いま日本で、黒髪がちょっとキてるのは乃木坂のおかげ」
「へ?」
話が見えない。
「これだけ街中の女の子が髪を明るくしてると、黒いとそれだけで若く見えるの。若いっていうか幼いっていうか。そのトレンドをけん引してるのが乃木坂ね。黒髪で清楚で制服で処女っぽい乃木坂が、ロリコン大国日本を席巻してるわけ。30代の子とか、どんどん黒くして若返ろうとしてるもの」
「そ、そうなの?
「それにしてもなんだろうね、モー娘。だって売れたら茶色くなるし、AKBなんていまやすっかりキャバ嬢だし。スタートは黒くても、女の子ってある程度年齢が行くと、茶色くせざるをえないのかな。あ、あと、女子アナがみんな髪短いのも、画面で見て黒色が重たいからだからね。芸能人は大変だよ、ほんと。その点、あんた童顔だし黒髪のままでもコアなファンにはモテると思うよ。いっそのこと"おさげ"にしてみたら? ツインテール萌え~的な?」
「・・・ねぇ、バカにしてる?」
本気で落ち込んできた。
「してないよ~。大学生になってちょっと色気づいたからって、初めて髪を染めたいだなんて、かわいいいなって思ってるよ」
ミユキさんはとりなすように、最初のよりも少し色の濃い栗色の房を取り上げた。
「うん、この辺ならいいんじゃない? さっきはああ言ったけど、ちょっと明るくするだけでもだいぶ印象変わるし。どう?」
すがるようにミユキさんに尋ねる。
「これにしたら、私、モテるかな。きれいになるかな」
「なる、なる。モテる、モテる。はい、これで決定、カラーお願いしまーす」
ミユキさんは無責任にガハガハと笑って、テキパキとアシスタントに指示を出し、他のお客さんのところに行ってしまった。
店内を見回すと、お客さんもみんなそれぞれきれいな髪の色をしている。真っ黒の髪なんて当たり前だけど私だけだ。あの人の赤みがかったのもおしゃれでかっこいい。あ、あのハニーブラウンもかわいいな。いつかあんな色にもチャレンジしてみよう! 夢がふくらむ。
「はい、ではこれからカラーに入っていきますね」
アシスタントのコウキさんは最近入った新人さんだ。職業柄、金髪でつんつんに立ててる。そうか、このヘアスタイルを維持するのも大変なんだな。同い年ぐらいであろうコウキさんにも尋ねてみる。
「あ、あの。この色って、どう思います? 似合いますかね? かわいいかな?」
「いいと思いますよ。明るすぎないし上品だと思います。サオリさん、髪サラサラだから、ついでに長さも切ってバランス取ると、ぐっとオトナっぽくなるんじゃないかな」
ぎゃー! 涙が出る。それそれ。上品。オトナっぽい。そういうことを言って欲しかったのよ、私は。なにがレディー・ガガよ。内心、叫びたいほどに上がったテンションをぐっと押し殺す。
「あ、じゃあ、これでお願いします。長さはちょっとミユキさんと相談してみます」
「はい、じゃあまずクロスおかけしますね」
すっかり気をよくした私は、カラーリングの薬剤の刺激臭を無防備に吸い込んでしまい、ゲホゲホとむせ込んだ。こんなに臭いものなんだ。
そうだ、そうだ。ばっさり切っちゃおう。私は、つい先月はかなくはじけ飛んだばかりの恋(果たしてあれは恋と呼べるのか分からないけれど)のことを思い出して、イスに深く腰かけ直す。
コウキさんと言葉を交わしたミユキさんが戻ってきて、鏡の中の私にニヤリと笑った。
「切るんだって?」
「うん! ショートにするぐらいの勢いで」
「やめときな。ショートカットが似合うのは、本当に顔がかわいい子だけだから」
ひ、ひどい。あまりのショックであんぐりと口を開けた私の肩口あたりで、髪がひょいっと持ち上げられる。
「そうね、切るならこれぐらいがいいよ。じゃ、あとよろしく~」
くっそー、見てろよ~~。絶対かわいくなってやるんだから。
ミユキさんの背中を鬼のような形相でにらみつけてたら、笑いをかみ殺してるコウキさんと目が合ったので、私は慌ててニッコリとほほえみ返した。
photo by Leda Carter
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