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一体なんのためにnoteを書いているのか


先週noteさんから、100週連続更新のお知らせが届いた。

100週……。こんなに書いてきたのか。



ここ最近は、めっきりnoteに対するモチベーションが上がらずにいる。
低空飛行すぎて地面すれすれな感じ。

毎日更新は、開始早々「こりゃ無理だ」と悟った私。この連続〇週!というお知らせだけは、うっすら気にして更新をするようにしていた。


少し前までは月8本は……なんて思っていたけど、最近は週1回でギリギリ。

98週くらいの時に、もう1週間に1本は……なんてのも気にするのも辞めようかな~なんて思っていた。

が、もう少しで100週ということに気づき、せっかくやし100週はいこう!と、もったいない精神で記事を書いた。

近頃は出社する日も増えているし、息子も保育園最後の1年ということで早お迎えをして体操教室に連れていってみたりしたりして、自分の自由時間が単純に減っている。

私の場合、子どもが寝てからは閉店ガラガラなので、文章を書くことはしたくないし。メルカリにもまだ精を出してるし。noteの優先順位がぐいぐい下がっている現状なのだ。


こうなって来ると、ふと浮かんでくる疑念。

私って、一体なんのためにnoteを書いているんでしょうか?


これ、noteを続けている方(仕事以外で)は、1度は思ったことがある人が多いのではなかろうか。


私は元々SNSから距離を取って生きてきた人間で、発信癖なんてものは皆無。だからこそ余計、「あれ?なんでやっけ?」となる。


初めはなんか仕事につながったりしたら良いなぁ……なんて下心を小脇に抱えてnoteの世界に飛び込んだ。
しかし、そもそも仕事が欲しいならただ書いて発信しているだけでなく、“何について書けるのか”強みを明らかにして、それに適した版元に直接持ち込んだ方がよっぽど近道だということには、早々に気づいていた。


私は仕事でテーマに沿った文章(取材記事・広告記事)を書いているので、noteでは自由にしたい欲が爆発している。テーマを決められて書くのは、気が乗らない。ここではその時自分が書きたいものを、ふざけたりしちゃいながら、好きに書きたい。

いや、そんなんで、仕事なんてくる訳ない。
一応今ライターさんに仕事を依頼する側にいたりするので、余計わかる。


じゃあ、尚更、なんで続けているの?


モチベーションが低空飛行になっても、時間がなくても、なんで書き続けているのだろうか。


……自問自答。


ぽくぽくぽくぽく……ちーん (一休さん)



いや~。やっぱり。

書くのが好きだから。


これやな。もう、これしかない。



ただ単純に自由に書くことが楽しい。

そして、それを読んで、反応までいただける場があるなんて幸せなことだよなぁということに気づく。

書き始めた頃は「これ誰が興味あんねん」と心の中で叫びながら、記事をアップしていた。

書き続けるうちに読んでくださる方が増えてきたり(ありがたすぎる)、素敵だなぁと思う文章に出会ったり、やり取りをさせてもらったり。心の中がぐんぐん広がって豊かになった。

「誰が興味あんねん」から「誰かに届いたら良いな」とおこがましくも思ったりする面も出てきた。


なんにもならなくても、それだけで十分な気がする。

大学時代も“実践的取材文章論”をテーマとしたゼミに所属して、社会に出てからもずっと文章に触れる仕事をしてきてはいる。けど、職種としては“営業”だと思っているので、仕事以外で自分の文章を書くなんてことはしてこなかった。
仕事でも企画営業だけど、書くこともするんです、というスタンス(責任もって、ちゃんとやりますけども)。


そんな私が、いざnoteを始めて、最早週1回になってはいるが100週続けてこれた。

そして今、「書くことが好き」と、素直な気持ちで言える。

それって素敵やん。


この記事を書いていて、そんな気持ちになってきた。


100週いったらもう〇週~も気にするの辞めて、書きたい時だけ書こうかな~。けど、そうなったらもう書かなくなっちゃいそうやな~なんて先日まで考えていた。


けど、やっぱり私は「書くことが好き」なので、つかず離れずで自分のペースで書き続けていきたいな。そのために連続〇週だけはうっすら気にし続けようかな、と思う。

(とか言って、途切れる可能性も大いにある)(それもまた良し)(どないやねん)


好きだから書く。シンプルで良いじゃないか。

そんなことを改めて思った、101週目のnote記事でした。

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