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人生の墓場

 死にたいという知り合いがいた。

何も珍しいものではなかった。仲がいいかと言われると、まあ悪い方ではなかったけど、向こうから寄せられている好意に少なからず僕は気がついて、同じく小さく嫌悪感を寄せていた。

正直ここで言ってしまおう。

さっさと死んでくれ。 

 ただ死ぬなら、僕が君を忘れた頃に死んでくれ。物事は引きずりたくない。このまま僕が君を止めなくてもどうせ死ぬことなんてないだろう。でもどうだ、君がもし、本当にもし僕とこのまま別れた後に首を吊って死んだらどうする。ああ、あの時僕がしっかりと話を聞いてあげたらなあとか、ケーキの一つや二つくらい奢ってやっても良かったなとか、真剣にどうでもいい自責の念に負われて精神を病んでしまう。その念で多分僕も死ぬ。いや僕はまだ生きるのが楽しいからそういうのはいい。 

 だから死ぬなら、5年後とかにしてくれ。多分忘れるから。そうだ5年経ったら結婚式くらいはしてるだろう。そこには招待してくれ。どうせなら君が死ぬ前に、白くて綺麗な教会を写真を撮りに行きたい。和風の方がいいか。たしかに似合うね。でもそこで会ってしまったらまた5年くらいは忘れられないな。

じゃあ10年後くらいにしよう。それだけあったら十分だ。いやでも結婚して5年だろう。子供の一人や二人はいるな。子供は良い。可愛いし、死にたいと思うことはない。その時はおもちゃくらいは買っていくよ。

そうしたら15年は必要だな。でもそうしたら子供は5歳とかだろ。流石に5歳の子供を残して母親は死ねないよ。そしたら小学校入学だし、入学祝いとかいるもんな。あとその頃さすがに僕も結婚式とかやりたいからお返しに招待するよ。

20年くらいたったら、子供は思春期だよ。子供が死にたいとか言い出しちゃったらどうしようもない。それなのに親だけ死のうなんて無責任だよ。だからせめて子供が家を離れるまで死ねないだろ。

つまりここから30年近くは死ねないな。じゃあそんくらいにしてよ。でも30年経ったらそのうちに同窓会とかあるはずだから、そこで会えるか。たしかにそれならまだ忘れられないな。


だから4、50年くらいはまだ生きててよ。もったいないし。

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