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人魚姫のハイヒール

新しいハイヒールを並べるついでに靴箱の掃除をしていたら、暗がりから忘れたことも忘れた靴を見つけた。

可哀そうなくたびれたエナメル靴を履いて、なんとなしに『オズの魔法使い』のドロシーを真似てかかとを鳴らしてみたら(あいにく銀色の靴ではなかったけれど)、低くて硬い音が鳴った。
つくづく靴というのはなんて奇妙でロマンチックなものだろうと思う。こんなにロマンチックでなければ集めたりしないですむのに、でも奇妙だからこそ惹かれるのだし、人は執着するのだと思う。どんな素材のどんな形のものであれ、靴には、魔術にも似た不思議な力が宿っている気がしてならない。
 
500足を超える靴をコレクションしていたナポレオンの妻ジョセフィーヌとか、その日に履く靴のために索引本をめくったマリー・アントワネットとか。一度に50足の靴を購入したグレタ・ガルボも、おそらくそう。エヴァ・ガードナーなんて一度に1000足もの靴を注文したのだ。
真偽はさておき、世の女たちが靴にみせる執着には、狂気じみたところがある。彼女たちに比べたら、私のもっている靴の数なんておままごとみたいなものだ。
 
でも、私の知る限り世界で一番、という言いかたが正しければ、世界でもっとも靴に狂っていたのは人魚姫である。

人の足に焦がれて、靴に憧れて、人魚姫は誰よりも美しい声と、貝殻を貼りつけたきらめく尻尾を捨ててしまったのだから。魔女から手渡された薬を躊躇なくあおる勇ましい姿に、私はいつも驚かされる。
自分の皮膚も声帯も器官(おそらく魚類的な)も失って、それでもなお手に入れたいものなんて、私には思い浮かばない。自分の在り様を狂わせるほど恋しいものなんて。

ほかの女の子たちならどうかと童話をひもとけば、『シンデレラ』の二人の姉たちは足の指とかかとを見事に切り落としてみせたし、それこそ頭の先からつま先まで赤い靴のことでいっぱいだった『赤いくつ』の少女は勝手に踊りだした足を首切り役人に靴ごと切られてしまった。
そういえば泥のなかに投げ入れたパンのうえを踏み潰して歩いた罪で立像にされた少女の話もあったけれど、あれは最後どうなったのか覚えていない。いつしか足をめぐる童話はすべて目も当てられないくらい残酷なものなのだ、と私は思い込んでしまった。

肉の削がれた足を硬くて冷たいガラスの靴に押しこむときの鈍痛。ぬるりとした血液、その血液のついた透明な靴で、ともすればうっかり階段を踏み外せば、砕けた破片が足にずぶずぶと突き刺さるのを想像してしまって、身がすくむ。そしてその、ひやりとした感覚、痛さと甘さ。後ろめたい歓びこそ、彼女たちを勇ましくさせている正体なのかもしれない。
 
ところで、ずっと気になっていることがある。
人間になった人魚姫は、ナイフを踏むような痛みに耐えながら踊りを披露して、見事に王子を魅了してみせたと物語にある。この夜、人魚姫はどんな靴を履いて踊ったのだろう。踊るのならストリップのついたダンスシューズ、あるいはヒール靴かもしれない。布製、それともエナメルか。
裸足の可能性もある。
裸足なら、きっとむき出しの足指の爪は、かつて彼女の下半身をすき間なくおおっていた貝殻の鱗のように小さくて、七色に光ったかもしれない。
だとしたら、人魚姫は自分のきれいなところ全部を手放したわけではなかったかも。そう思い直して、思いだされたように出てきた、古くてくたびれた靴を、私はどんな靴よりも愛おしいと思った。


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