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ミス対策は“不注意モード”で考える

ある種の人々にとって、「気をつける」ということは、すごく有効な対策である。(驚いた事に一定数、『気をつけるだけでミスを激減できる人』は実在する)

しかし、発達障害などを持った、うっかりさんはそうはいかない。

前回も、うっかりさんにとって「気をつける」という対策は役に立たないといった内容を書いたけど、その続きだ。

くどいようではあるが、実際に、「気をつける」「しくじる」「自分の不注意を責めて奮い立つ」という負の連鎖によって、着実に自己肯定感を失っていく人はたくさんいる。

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彼らは、いまだに『気をつければなんとかなる』というファンタジーを信じている。


いい加減に目を覚ましてくれ。

次は気をつけようから繰り出される無限ループから抜け出してくれ!

「気をつけたところで、どうにもならない。」
「注意欠陥というやつは、気をつけてなんとかなる代物ではない。」
「気をつけていても“不注意モード”が突然やってくる」
ということを念頭にいれておくということは大切だという話。

いくら気をつけて皿を運んでいても、
ネズミが足元から飛び出すことを防げぬように、
空想癖の激しい人が、宇宙のしくみについて気になりだすことを
防ぎきることはできない。

注意が、必要なところに注意を向けられなくなると、
「気をつける」という行為が、まったく役立たなくなってしまう。

酒をキッパリやめるように、注意欠陥や妄想癖、
過集中をやめることはできないのだ。
注意が散漫になるのを防ぐということは、諦めた方がいい。

かといって、自己卑下する必要はない。
「気をつける」だけが対策ではないからだ。
ただ、自分は「気をつける」ことが苦手ということを認め、
仕組み作りなどの、対策をすることだ。

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私などは、自分の注意力など、まったく当てにしていない。
もちろんミスが起こらないよう気をつけてはいる。人一倍気をつけている。
でも、気をつけたところでミスることは理解している。

おかげで、「あっ、これ、やらかすな」って察知する
スタンド能力を身につけた。

終わり。

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