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ネイル

 足してゆくだけで創る美しさは、容易に手に入る。資金さえあれば良いからだ。

 艶やかな赤を指先に纏いながら、私は考えていた。
 ベースの色である赤のグラデーションが、角度によって煌めく色を変えるホログラムを引き立てる。ぷっくりとしたフォルムに整形された私の爪は、樹脂によって宝石のように輝いていた。

 ネイルアートは楽しい。爪を保護するベースコートを塗って、着色をして、きらきら光るストーンやラメを絵の上に乗せ、最後にアートを保護するトップコートを塗布して包み込む。

 私にはそれが、足し算の美であるように思えるのだ。

 食べる物に気をつけて、適度な運動と良質な睡眠を優先するような本質的な美は、引き算の美だ。
無駄なものを削ぎ落として創る美しさは、容易には手に入らない。私のような人間にとっては、苦しい苦しい修行なのだ。
 もっとも、食べたいだけ食べても健康でいられた経験が過去の物となった時点で、私だって人並みに、食欲をコントロールしようと試みてはいるのだ。遅々として結果が出せていないのだけで。

 すぐに結果が出ないのならば――私が美と対極である惨めな存在に甘んじている間にも――せめてもの救いに、自分の体の一部だけでも、美しくありたいというのは間違っているだろうか。

私が没頭してるのは、本質的な、真っ当な美しさを手に入れた者だけが余白として楽しむ行為であって、それを先取りするのは滑稽なことなのだろうか。

蛹が蝶に羽化する瞬間をも、楽しみたいというだけなのだけれど、そのあがきが道化じみていると言われるならば、かえす刀は持ち合わせていない。

 ネイルサロンを後にして、秋めいた肌寒さにどきりとしながら、駅へ向かう。
 帰りの電車を待つ間、何人かの乗客が私を覗きこんだ。「面白みたさ」といった様子を隠そうともしない無遠慮な視線の暴力を、ネイルアートを眺めることでやり過ごす。品性に欠ける大学生風の若者が、「似合ってない」とつぶやいた気がしたが、聞こえないふりをした。途端に、心臓が跳ね上がる。

 分割払いで買ったブランドバックを引き寄せて、内ポケットからイヤフォンを取り出した。震える指先でケースを開いて耳に突っ込み、スマートフォンで音楽を再生する。お気に入りの旋律が流れ出すと、早鐘のような鼓動が少しだけ、宥められたような気がした。そして再度、思考を止めて自分の指先をうっとりと眺め、ただただ、目の前にある美しさを愛でる行為に集中する。

 バッグも、音楽も、ネイルアートも、私を守るお守りだ。どれも、足し算で手に入れた私の付加価値。風が吹けば飛んでしまいそうな私の自尊心を、少しの間だけ満たしてくれる、盾のようなもの。
 
 どんなに私が醜くたって、どんなに私に価値がなくたって、私の指先はこんなにも美しい。お金を払って得た確かな技術が、私に前を向く勇気をくれる。

 引き算を諦めかけた時、自分の価値を見失った時、私は自分を甘やかす。
 金をドブに捨てるような物だ、と、誰かに言われたような気がした。そうだろうか、と、吐き気を堪えながら私は思う。資本主義の美点は、対価さえ払えば誰でも好きなものを手に入れられる所にあるのではなかったか。

 私の散財の価値は私が決めよう。

 ネイルを眺めながら私は、足してゆくだけで得られる価値を噛み締めた。

 いつの日か羽化する自分を、夢見ながら。

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