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父親は父親

妻が脳梗塞で倒れてから107日目。
今日、妻のお父さんが熊本から妻の入院先である神奈川県の病院を初めて訪れた。

妻曰く、父は誰の言うことも聞かない、自分のやりたい事だけする、勝手にどこかに行ってしまう、いわゆる自分勝手な人。元来の性格が我が儘なようで、事あるごとに義母や妻からその話を聞いていた。

実際、結婚の挨拶に行った時も、両親の顔合わせの時も、挨拶も早々に自身の政治論、宗教論、スポーツ話など自分が話したい内容だけを話して、他の人の話にはあまり合わせる事のない人だった。

そんな気質のお父さんだから、妻も学生時代に色々とぶつかったみたいで、大人になってからは、お父さんとはあまり話しをしておらず、少し距離のある関係だったようです。

その義父が今日、一人日帰りで熊本から神奈川の病院まで来てくれた。

面会はコロナの関係上14時から17時のあいだの1時間のみ。義父の帰りの便もあるので、面会可能な一番早い時間の14時に、私と病院で待ち合わせをしていた。

12時50分。義父から電話がかかってきて「病院に着いた」と連絡がくる。
相変わらず約束通りにいかない。
「今車で病院向かっていますので、病院にある喫茶店で待っていて下さい」と伝える。義父から「わかった」との返答。

車を飛ばし病院へ向かう。13時20分に病院へ到着し、急いで喫茶店へ行く。
「遅くなって、すいません。あと忙しい中わざわざ来て頂いて、ありがとうございます。」と伝える。

すると義父が急に席から軽く立ち上がって
「この度は娘の事で、あなたの仕事・人生を壊してしまい、本当に申し訳ない。」と謝られた。

突然の事でびっくりして「いえいえ、家族ですから。」と応えていた。

自宅に帰ってからも暫く、この事・言葉を反芻していた。

親は自分の子供が、誰かに迷惑をかけたら子供の代りに謝る。身内とはいえ血の繋がりのない私に迷惑をかけてしまったことを、父親として謝ったのだと思う。父親は、子供が幾つになっても父親なんだ。この日まで100日かかったのは仕事で多忙な事もあったかもしれないけど、色々な思いがあったんだと勝手にあれこれ考えてしまう。

因みに私としては、仕事も人生も壊れていないし壊す気もない。

14時になったので、妻の病室へ行く。義父と二人で「こんにちわ」と言って入る。すでに妻は涙で溢れていた。義父も病室に入り、妻の顔を見ると、涙が少しこぼれていた。

パイプ椅子を用意して、義父に座ってもらうと「大変だったな」と。
妻も「うん」と。暫く優しい親子の会話が続いた。久々だか、ちゃんと親子の会話が出来ていた。ただ少し落ち着いてくると義父のいつもの自論の宗教の話、政治論、スポーツの話になった。笑

30分ぐらいして会話もなくなってくると義父が「飛行機の便もあるから、そろそろ帰る」と言い出した。面会時間の1時間の半分しか経っていないのに…。
飛行機で半日かけて来たのに帰ると、義父らしい。でも言い出したら引かない。

最後に、義父に妻のお腹の赤ちゃんと、麻痺した左手を触ってもらった。
義父の強いエネルギーをもらえたはずだ。妻とはそこで別れ、私が病院の外まで見送りをした。

病院の外へ出ると「色々と迷惑をかけて申し訳ない。娘をよろしく頼みます。」と言われた。「はい、分かりました。妻が回復したら赤ちゃんと三人で熊本へ行きます」と答えた。

最後に両手で握手をして、お別れをした。


<おまけ>
義父から、お土産の事をすっかり忘れてたから熊本の空港で買ったと、阿蘇高菜漬を頂いた。

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