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「心」を哲学する

以前「心や魂の存在をどう説明するか」を、哲学の真似事としてつらつら考えたことがあるので、書いてみる。

体は存在する。脳も存在する。では、心は?魂は?

誰もが「心はある」とは思っているだろうけれど、改めて「じゃあ、心って何よ」と聞かれると、説明するのは難しい。難しいが、そういうのは嫌いではないので、考えた。

喉が渇いた、目の前に水のペットボトルがある、という状況を考える。

Aさんは、手を伸ばしてペットボトルを取って飲んだ。これは脳の指令による。

Bさんは、自分のものではないから飲まなかった。これも脳の指令による。

喉が渇いたという生理的な欲求は同じなのに、AさんとBさんでは行動が違う。この違いはどこから生じたのだろう。その違いを生むのが、心ではないだろうか。同じような状況でも異なった行動を生むのは、心を持っているからではないだろうか。

では、心は感覚や意識とは違うのか。

「感覚」は外界の刺激を体内に取り込む働き、「心」は感覚を評価して脳に指示を出す働き。だから、心と感覚は違うものだろう。感覚は、心と外界を繋ぐものと言えるのかな。

意識は・・・、うーん、難しいな。それぞれの否定を考えてみよう。

「無意識」は、意識がない、つまり眠ったり気を失っていたり自分の意思が働かない状態。

「無心」は(あれ、これだと「おねだり」になっちゃうな。もとい)、「心ない」は、人として望ましくない振る舞いのこと。だとすると、「心ない」はネガティブな概念だな。

なるほどそうすると、心はポジティブな概念で、人としてあるべき姿をとらせる源ということになるのかな。だから、心と意識も違うものだろう。意識は精神的な活動そのものだが、心は「良い/悪い」などの価値観を含んでいると言えそう。

まとめると、

「心とは、ある外界の状況の価値を判断して行動を決定する要因、また拠り所」。

(するってえと、「脳」はその決定に応じて実際に行動を起こさせる動力だな。心がドライバー、脳がエンジン、体が車。)

いける?

魂についてはまた改めて考えよう。