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なんてつまらない人生だろう

他人と比較をするのは幸せになれないと言われてるし、私もそう思う。

でもやっぱり比較しちゃう。
周りを見ると、私よりも人生が楽しそうな人が多い。いや、そういう人々ばかりが目につく。

友達がいて、彼氏彼女がいて、ごはん食べたり、飲み会したり、テーマーパークに行ったり。

知人のInstagramを見て羨ましく思うけど、それは私が友達作りに努力してこなかったのが原因。

終いには、世界的に愛されるBABYMETALの大好きな彼女たちとも比較しちゃう。
彼女たちのパフォーマンスは世界を圧倒する。
年齢はほぼ同じなのに、こんなにも生きている世界が違う。
どこで人生を間違えたの?って。

やっぱり隣の芝生は青い。

こんなんだから、(家族とか抜いて)私のことを気にかけてくれる人なんていないし、そう割り切って「私は一人でも大丈夫」と言い聞かせてここ数年間生きてる。

Hailee Steinfeld主演の『THE EDGE OF SEVENTEEN』という数年前の映画で彼女が言った「Nobody likes me」という言葉が私の心を安定させた。

どう考えても私は主役的じゃない。

私は空気でいい。知られてなくていい。存在を無いものとして扱われてもいい。


でも、本当は、私のこともって知ってほしいと思ってる。

みんなみたいに魅力はないけど、誰かに「あなたを知りたい」って思われたい。

「あなたは私にとって唯一無二だ」って思ってくれるような、親友がほしい。

他人からあなたのこと分かってるって態度を取られると
「私のこと知らないくせに」とかよく思っちゃってたけど、
これはつまり、もしかしたら案外私のことを見てくれてる人はいたのかもしれない。
私って案外他人に気を掛けられてるのかもって。

そう思えば、私は色々な人に支えられてるのが実感できる。

些細な一言で私の心は安定する。

「心配したよ」
「しずならきっと大丈夫だよ」
「負けたらアカンよ、頑張って。応援してる」
「しずが何か言われたら守るからね」
「いつも頑張ってるね」
「俺はちゃんと見てるから」
「無理してるよね?」
「しずの中にもちゃんと考えがあるって知ってるよ」

みんな、私を励まそうとして言葉を紡いでくれた。

こんなに退屈な女でも、生きることを肯定してくれるってことだよね。

私はちゃんとひとりの人間の人生を生きれてるのかな。
普遍的ですぐに散ってしまいそうな人生じゃ、私が可哀想。

最近見た『永遠に僕のもの(原題 el angel)』というアルゼンチンの映画を見て、人生は勝つしかない!って強く感じた。

簡単に言うと、盗み癖のある美しい青年が主役で、日常的に軽い窃盗をしていて、彼がある男と出会ってその家族と共に大規模な窃盗をするようになって殺人も厭わないような天使の顔をした悪魔となり、彼が逮捕されるまでの話。

勿論その過程で色々な人と出会い、恋や友情を育んだりそれらが破れたりしていく中で
様々な人間らしさを見せているから彼に感情移入しやすい。

この映画を見て、

彼のような人生に憧れる訳じゃないけど、私は誰の人生を生きてるの?って思った。

それは勿論私は他の誰でもない私の人生を生きているんだけど、
その人生って私のものっていう自分らしさ、つまり独自性とか唯一性があるの?って。

あとは、明日死ぬと思って今日生きる!と決めた。

今日やり残したことは、決して後から今日に戻ってやることができない。
無数にある中からいくつかのチャンスを拾ってそれが開花するかしないかだなあって思った。

拾い残さないように生きたい。

だから、結局私はInstagramに映えるような人生なんて元から求めてないんだよ。

今日はデート、明日は友達、その次はゼミの子、その次はデート、その次はサークルの子……みたいに予定だらけの手帳を持ちたいと思ってた。

Instagramのストーリーに頻繁に「○○とごはん♥️」みたいなの上げてるのが羨ましかった。

私に少しの勇気があれば、そういう人生だったよね。

そういうのに憧れるけど、私にはめんどくさい。

友達だって、少なくたっていい。
彼氏いなくたって、サークル仲間いなくたって。

今いる人達をちゃんと見ていきたい。

知り合いのInstagramを見ると病むけど、私も彼らに憧れられるような、素晴らしい人生を生きられるように頑張ってみるよ。

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