マガジンのカバー画像

浜通り滞在記

28
福島県浜通りにある富岡町に滞在し、インターンシップを行う学生のみなさんが書く滞在記です。
運営しているクリエイター

記事一覧

~ 2024.3.11

あれから13年。 小学生になろうとしていた私はもう大学生。 インターン前、 今の富岡に関わる理由を母から問われた。 なぜ今私がこの地に興味を持って、 今ここで生活しているのか。 福島をもっと知りたいという思いから 始まったはずなのに、 ここで生活していくうちに、 どんどんこの地について考えたくなって。 ここが私の日常になりつつあって。 でもそれが良いのか悪いのかも、 ずっと考えてた。 でも地元以外で、 もっといたいと思えたのは ここが初めてだった。 今日は1ヶ

富岡生活終

富岡での滞在を終えて、あっという間に1ヶ月。 滞在中、滞在後の思ったことを書き出すには、 時間が必要で、長文になってしまった。 まだ矛盾していることもあるはず。 それがこれからも富岡と向き合う理由でもある。 インターンの目的、気づき- アートが地域にもたらす影響 私は他県のアーティストインレジデンスの活動を知ったことをきっかけに、 アートが地域にもたらす影響について考えたいと思うようになった。 今回、現代アートを手段とするようなプロジェクトを進める中で、 「やる意味

【インターン記録.9】インターン、何してるの?インビジブルでのインターン、こんなことしてました②

インターン記録、今回は私たちの考えてきた企画について。企画の決定にいたるまでをまとめてみました。☀️ インターンの期間中、インターン先の企業で止まっていた「記憶の森」というプロジェクトについて自由に考えて、チームで企画や編集を行うことに取り組んだ。 このプロジェクトは、東日本大震災により更地となった場所や再建された新たな建物・メガソーラーなどで見えづらくなってしまった人々の記憶の可視化を目的とするもので、はじめは地図上に思い出の場所をマッピングするような、そんなイメージの

vol.05_想像×創造

福島を離れてしばらくが経過した。 少し時間は経ったが、今回のインターン最終成果物として行った展示会について振り返ってみる。 展示会概要 今回の展示会は、「記憶の森」というプロジェクトの一環で行った。 そもそも、このプロジェクトは福島の見えなくなったものを可視化させることが目的にある。 人々の過去の記憶とか、 そこにあった生活の営みや痕跡とか。 展示会は「Memory Laundry」と題して進められ、富岡町の人にインタビューして得られた記憶を洗濯物と共に干した。

【インターン記録.8】福島▶︎関西へ。帰るまでのあれこれと、帰ってきていつものまちを見ると。

インターン終了 ついに1ヶ月の福島県富岡町滞在インターンが終了。 記録はまだまだ残していくし、前のnote「インターン何してたの?」で次は私たちのプロジェクトについて書く予定だとかなんとか言ってたけど、 温度の高いうちに書きたいことを書きたくなって、 ☑️帰るまでの1日 ☑️関西についてから感じたこと の主にふたつを思いつきで書いちゃってます。時系列はずれますが、ぜひ。 24日が最終日だったため、 22日の夜、布団の中で 「あと一回、ここで寝たら終わりか〜」と思

【インターン記録.7】インターン、何してるの?インビジブルでのインターン、こんなことしてました①

インビジブルでのインターン インターン記録、と言いつつ、あまりどんな活動をしているのか載せていなかったので、 書いてみます。 今回はインターン先の携わっている活動に参加した体験記をメインに、次にあげるnoteでは私たちが取り組んだプロジェクトをメインにまとめます。 ① PinS プロジェクト(小学校でのアーティストインレジデンス) まずは、インターン期間中の3/7,8に見学とお手伝いをさせていただいたPinSプロジェクト(プロフェッショナル•イン•スクール プロジェ

vol.04_繋がり

しばらくnoteを更新していなかった。 しかし、過去の出来事を少しずつ振り返ってみると新たに見えてくるものがあった。 バラバラの過去の出来事が 一貫の繋がりとして見えるのだ。 人との繋がり 小学校でのPinSプロジェクト 3/8プロジェクトの一環で小学校に行った。昼休みに子供達と鬼ごっこしたり、側転をしたりして遊んだ。 バレー 3/14富岡バレーボール同好会にお邪魔させてもらった。地域のママさんや中高生に会うことができた。 子供食堂 3/15子供食堂に足を運ぶと、小

選んで選ばれた私の写真たち

福島県の浜通り【富岡町】

未来を見せていく1人に

富岡町のツアーへ。 今回は富岡町で活動されている方々の お話を聞くことがメインの内容だった。 よく挨拶はするけれど、 実際どんなことをしている人なのか、 どうしてこの場所にいるのか、 ずっと疑問に思っていた方の話を聞くことができた。 特に、ここにはまだ未来を見せていく企業が 少ないという話が印象に残っている。 ここに来てから、強い思いを持って 前に進み続けている方々と出会った。 しかし様々な施設を見ていて、 震災がただ悲劇として伝えられているように見えた。 次にどうし

【インターン記録.6】3/11—昨日のこと

長らく滞らせていたこちらの記録。 更新してみました。インターン記録というか、3/11の記録。 焼きそばとスープと 3/11当日は、朝はインターンで行っている企画を進めて、午後からはいくつかの活動に参加した。 まずは「浜街道トレイル」へ。 みんなで歩きながら、いろんな話をしながら。 震災のこととかを話したり、話さなかったり。 そのあとは大熊町の大野駅での3.11のつどいに少し参加し、 富あかりという富岡の竹灯篭やこどもたちのつくった灯篭によって小学校跡地を照らすとい

vol.03_さん てん いちいち

さん てん いちいち 3 てん 11 3 . 11 13年前、私は南の島の小学1年生。 13年前、北の場所で起こった出来事はニュースで 見たくらいだった。 そして13年後の今、私はその北の場所で 海へ向かい、黙祷を捧げた。 まだ過去の出来事の全てを知れた訳ではない。 これから先も、完全に分かることはできない。 だけど、 震災前の海はどんな表情をしてたのか どんな風や香りを運んできていたのか 気になって知りたいと思った。 南の島と一緒だったのかな? それとももっ

生活することで分かること

生活すること 生活することで分かること 洗濯物を外に干そうと思ったとき、放射線が付着したら嫌だなと思った みんなは洗濯物を普通に干せたのかな? 窓を開けることや、外で遊ぶことが普通にできたのかな? これはここで生活しなければ、思いもしなかった感覚だろう ここに来て、生活をしなければ 多分こういう些細な営みの中で、ここで生活しているのだと気づく とても当たり前のように、 自然に、身体の中に染み込んでいくように 富岡町の一部として取り込まれるかのように 私はやっぱり、こ

【ペルソナ】誰かの語り?

あの日から13年が経った いまだに言われる避難生活という言葉 私って避難生活をしているのか? 私は今、自分の意思でここにいる 避難生活と言われると、私はここで生活をして生きていると言いたくなる でもあの6年間は確実に避難生活だった 選択肢すら奪われて、第三者が勝手に自分の中に介入してくるような感覚 でも実際に私はあの頃自分の意思でそこに居たのかと言われると、別にそうでもなくて なんとなく生まれた場所だったっていうだけだった だからここにいる理由はなかったかもしれないけど

ソーラーパネル観察日記

3月3日(日) 曇のち晴れ 今日も家の周りには 変わらずソーラーパネルがある 少し曇りがちだけど 雲の隙間から覗く太陽の光を浴びて  たくさんの電気をつくっている  こっちに来てから  毎日 晴れの日も雨の日も雪の日も みんなおんなじ方向を向いて 太陽の光を待っている じーっと、待っている 何十年も枯れることはないし お世話をする必要もない 水や肥料も もちろんいらない 私たちは 何十年後まで あの景色を見続けるだけ 電気を使い続けるだけ みんなが力