【インターン記録.6】3/11—昨日のこと
長らく滞らせていたこちらの記録。
更新してみました。インターン記録というか、3/11の記録。
焼きそばとスープと
3/11当日は、朝はインターンで行っている企画を進めて、午後からはいくつかの活動に参加した。
まずは「浜街道トレイル」へ。
みんなで歩きながら、いろんな話をしながら。
震災のこととかを話したり、話さなかったり。
そのあとは大熊町の大野駅での3.11のつどいに少し参加し、
富あかりという富岡の竹灯篭やこどもたちのつくった灯篭によって小学校跡地を照らすという鎮魂の行事に参加した。
ーどんな雰囲気なんだろう
そう思いながら現地に着く。
まず驚いたのは、子どもたちが灯りのまわりをキャッキャと遊んでいること。
何度か会っていたので、私たちの名前を覚えてくれていて、呼ぶ声も聞こえた。
そしてどこからかめちゃくちゃお腹が空く、
いい匂いがする。
その後、ある男の子が
「焼きそばがあるよ!スープも!」
と教えて連れていってくれる。
本当に焼きそばとスープがふるまわれている。
気づいたら焼きそばをちゃっかりいただいて子どもたちがセッティングしてくれた席に座って、
顔馴染みになってきた地域の人や
よくわからないけれどめちゃくちゃにハイテンションで場を盛り上げる園児と
共にやきそばを食べていた。
こういうのが良いな。
あたたかくて、なんでもないような。でもこういうのが1番忘れられなくて覚えていたりする
現地で過ごす 3.11
東日本大震災の日、現地で過ごす。近畿出身のため、阪神淡路大震災の日も自分にとっては現地で過ごしているわけだけれど、
小学生の時にテレビで見た津波や地震の映像、繰り返し流され続けたCMの音楽、
自分の生まれる前ではなく、ちゃんと目で見て耳で聞いて、記憶に残っているからか、それとはまた違った不思議な感覚だった。
私たちはみんな誰かの死の上にいる。
教科書では、〇〇年〇〇戦争とか、〇〇年〇〇の大飢饉とか書かれるけれど、
歴史上、争いや飢饉がたくさん起こって、その上にまさに今立っている。生きている人が亡くなって、生まれて死んで、当たり前のように繰り返されている。でもそこにも必ず大切な人を失った人の悲しみとか形容しがたい思いがあるはずで。
震災によって、家族や知り合いが亡くなったというわけではないけれど、立ち止まって、生について考える。私にとっては、そんな日なのかもしれない。
被災者かそうでないか、当事者かそうではないか
から、
それぞれに考える時間を。
そんな考え方にここへ来てみて、変化させられたような感覚がある。
ここ数日でテレビやニュースでも、震災のことを見ることが増えた。3/11だけでなくて、毎日毎日、生活が他の地域と同じように人によって繰り返されていること。それも伝えられてほしい。
そんなことを考えた日。
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