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自ら道を切り開いた日本人女性のおすすめノンフィクション本

はじめに

人生において、自ら道を切り開くことは大変なことです。自分の夢を求めて、苦しいことに耐えながら前に進んでいくには相当なエネルギーが必要です。
 
そのような本を読むと、エネルギーをもらったような気がして、元気がでます。そこで、自ら道を切り開いた日本人女性のノンフィクション本を3冊紹介します。
 
あえて、女性だけを選んだのは、「即断、即決、即行動」が女性の方があるように思えて、爽快感があるからです。


本の目次だけ読んでも、すごいことをしていることがわかるので、本の紹介の最後にその本の目次を記載しました。



<1>アジア最貧国といわれたバングラデシュでの号泣戦記

<裸でも生きる:25歳女性起業家の号泣戦記 山口絵理子>

株式会社マザーハウス代表取締役である山口絵理子がマザーハウスを設立して、アジア最貧国といわれたバングラデシュでバックを造るまでのひたむきな歩みが書かれた本です。

その後も、「裸でも生きる」の続編としてバングラデシュ、ネパール、インドネシア、スリランカ、インド・・・と広がりますが、起業して間もないころの苦労が大きかった分だけ、この本が一番興味を持って読むことができました。


小学校でいじめを受け、中学で非行に走りましたが、柔道と出会い、柔道に打ち込みます。高校では柔道に強くなりたいと入部したのが柔道男子部です。男子相手に激しい稽古に耐え、3年生のときに全日本女子柔道ジュニアオリンピックカップ48kg以下級で7位に入賞します。
 
偏差値40の工業高校で柔道に明け暮れていた彼女は3ヶ月の猛勉強で慶應義塾大学総合政策学部に入学します。
 
高校時代のエピソードだけでも、彼女のすさまじいエネルギーを感じます。
 
大学で発展途上国援助に興味を持ち、4年生の時にワシントンの国際機関でのインターンを経験します。しかし、そこで働いている人たちは事務手続きをするだけで、現地に行こうとはしないことに疑問を持ちます。
 
そして、彼女は「途上国から世界に通用するブランドをつくる」を理念としたマザーハウス設立を決意します。
 
彼女はアジア最貧国といわれたバングラデシュに行き、現地で作られるレザーの素材を用いて、バック造りを思いつきます。
 
初めてのバック造りの難しさ、治安がとても悪いバングラデシュの大学に入学、作業場探し、商取引などなど、困難だらけの中でも、彼女のひたむきな歩みは「途上国から世界に通用するブランドをつくる」という強い信念があるからこそ頑張れるのだと思いました。


【裸でも生きる:目次】
プロローグ
第一章 原点。学校って本当に正しいの?
第二章 大学で教える理論と現実の矛盾
第三章 アジア最貧国の真実
第四章 はじめての日本人留学生
第五章 途上国発のブランドを創る
第六章 「売る」という新たなハードル
第七章 人の気持ちに甘えていた
第八章 裏切りの先に見えたもの
第九章 本当のはじまり
エピローグ 裸でも生きる



<2>世界一タフな犬ぞりレース「ユーコンクエスト」に挑戦

<犬と走る:本多有香>

マッシャー(犬ぞり師)である本多有香が世界一タフな犬ぞりレースと呼ばれる「ユーコンクエスト」に日本人女性として初めて完走するまでの孤軍奮闘が書かれた本です。

大学時代にオーロラを見にカナダに行ったときに犬ぞりと出会います。一旦は就職しますが、数年後にマッシャーになるために単身でカナダに渡ります。
 
マッシャーになるための方法を模索しながら、マッシャーのレイミー・ブルックスに出会うまでの過程は彼女のすさまじいエネルギーを感じます。
 
彼女は大のビール好きで、ユーコンクエストのゴール地点でもあるカナダのホワイトホース近くのバーで飲みながら、犬ぞりに関する情報を仕入れます。
 
そして、ユーコンクエストに参加しているマッシャーにハンドラー(ほとんど給料はもらえず、住み込みで犬の世話をする人)にしてもらうように直談判します。
 
そこで、ハンドラーにしてもいいというマッシャーが現れましたが、滞在先がアメリカのアラスカでした。ホワイトホースからアラスカに行かなければなりません。所持金がないため、氷点下の中、何日もかけて自転車で行くことにします。
 
実際にはそのマッシャーのハンドラーにはなれませんでしたが、レイミー・ブルックスの存在を知ることができ、彼のハンドラーになります。きつい仕事をこなしながら、マッシャーになるための知識と経験を積んでいきます。
 
ユーコンクエストは関係者の間で「まず生き残れ、レースはその次だ」といわれるほど、過酷なレースです。総距離は1600キロもあり、気温は-40℃になることもあります。天候が変わりやすく、猛吹雪による遭難事故につながることもあります。
 
辛く苦しいレースを何度も挑戦しながら、諦めず続けていき、4度目の挑戦で初めて完走します。
 
マッシャーはレースをどう進めていくかの判断をするだけではありません。10匹前後の犬がそりを引くため、レースまでにトレーニングをしながらチーム編成を考えたり、犬のコンディションを整えるのもマッシャーの仕事です。
 
犬の習性も随所に書かれているので、犬好きな人も共感が得られるところがあると思います。


【犬と走る:目次】
プロローグ ただいま26匹
第1章 イーハトーブからの旅立ち
第2章 「ドッグハンドラー」になった
第3章 「ユーコンクエスト」の衝撃
第4章 おんぼろ自転車で雪のアラスカへ
第5章 過酷なハンドラー修行
第6章 理想と現実
第7章 浮浪者たちとの教会ディナー
第8章 「セーラムラン」を完走する
第9章 永住権ほしさの結婚騒動
第10章 猛吹雪のクエスト初挑戦顛末
第11章 再挑戦で起きた取り返しのつかない出来事
第12章 癒されたオーストラリア出稼ぎ旅行
第13章 クエスト復帰を決意
第14章 私がリーダーで這って登ったイーグルサミット
第15章 念願のカナダ永住権取得と犬舎
第16章 ついにクエスト1600キロを完走する
エピローグ 再びスプルースの林の中で



<3>女性で世界初のエベレスト登頂

<タベイさん、頂上だよ:田部井淳子>

田部井淳子は1975年にエベレストに女性で世界初の登頂。1992年に女性で初の七大陸最高峰登頂者となり、女性登山家の第一人者です。エベレストがあるネパールの国民にも知られています。
 
この本は彼女が1975年にエベレスト登頂までの険しい道のりが書かれた本です。

1969年に女性だけで海外の山へ登ろうとする趣旨で「女子登攀(とうはん)クラブ」を作ります。まずは、アンナプルナⅢ峰に挑みますが、女性だけだと、体力的なことだけでなく、人間関係なども大変なことだとわかります。
 
その経験を踏まえ、標高8848メートルのエベレストに挑戦しようと決意します。ちなみに、富士山の標高は3776.12メートルなので、富士山の標高の2倍以上です。
 
エベレストに登りたいからといって、すぐに登れるわけではありません。ネパール国の登山許可申請、人集め、登山ルートの計画、登山費用4300万円を捻出するための企業の後援依頼などなど、やらなければいけないことがたくさんあります。

1970年代ですので、インターネットはなく、黒電話の時代です。自身の活動を多くの人に知ってもらう方法はなく、クラウンドファンティングなどはもちろんありません。
 
また、当時、彼女は既婚者で小さい子供もいたので、子育てと両立しながら、エベレスト登頂の準備をする大変な生活を続けていました。
 
そして、エベレストの過酷な登山が始まりますが、6400メートル地点の第2キャンプでは雪崩に遭遇します。体のほとんどが雪に埋もれ、シェルパ(案内役)の助けが遅れたら窒息死するようなことが起こっても、諦めずに、登り続けます。
 
1975年だと今と比べて、登山用品は手作り感があり、命がけの登頂だと思います。しかし、彼女は「そんなの当たり前」みたいにいられるのが精神面の強さを感じます。
 
彼女がエベレストを登頂して3年経ったところで本は終わりますが、2016年に腹膜癌により、77歳で亡くなるまで登山を続けていた彼女の生き方はいつまでも挑戦者であり続ける強さを強く感じます。


【タベイさん、頂上だよ:目次】
1 山との出あい
2 「白い山」と「めぐりあい」
3 「結婚」そして「友の死」
4 ヒマラヤ「夢」と「現実」
5 アンナプルナ「女のたたかい」
6 女だけの八八四八メートル
7 「撤退」か「前進」か
8 「タベイサン」頂上だよ
9 そして「これから」のこと



まとめ

これらの本には共通していることがあります。
 
彼女たちは嫌なこと、苦しいことがあると普通の人と同じようにやめたくなります。しかし、彼女たちはやめたくなっても、実際にやめないで続けます。
 
また、彼女たちは悪い状況になっても、誰のせいにするわけでもなく、今できることを考えて行動します。
 
やり続ければ、必ず結果が出るとはいえませんが、やめてしまえば、絶対に結果はでません。やり続けることの大切さを教えてもらいました。
 
 
-おわり-


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