見出し画像

私がFIREした理由と現状

私は2022年2月3日に🇲🇾に移住し
4月より完全にFIREという
定義をしています

なぜ私がFIREそして移住したのか
その理由と
11月8日現在における
現状と見通しと
感想についても記載します
長くなりましたが
何かのご参考になれば🙏

🔶FIREと移住した理由と経緯
まず理由を語るには
私の過去の経緯が必要です
私は20歳から
ソフトウェア開発会社に入社しました
そして23歳の時
独立し会社を立ち上げました
最初の数ヶ月は大変でしたが
勤めていた会社もいい取引相手
となってくれ会社は順調でした
少しずつですが社員も増え
最大で15人ほどになっていました
私の給料は手取りで
120万ほどでした
しかし私は経営者向きではなく
むしろ技術者向きで
私もひたすらに仕事をしていました
その為、さまざまなあと仕事を
私がしていたこともあり
徹夜も残業も当たり前
土日もなく1年間に4-5日しか
休みがないのが10年ほど続きました
その間私は同じ仕事の彼女と
結婚しましたが
お互い仕事ばかりということもあり
うまくいきませんでした

私が34歳ぐらいの時
今の妻に出会いました
妻は歯科衛生士で
私が数年通っていて
少しずつ距離が縮まり
36歳の時、交際になりました
しかし私は仕事人間で
何せお金はあるけど休みはなく
そして何よりマインドが
男は仕事してなんぼだ
結局、仕事だけして死んでいくんだ
と忙しさを性別と社会のせいにし
半ばやさぐれを
おこしていました
今思えば異常な精神状態でしたが
当時はそれが俺の道だから
邪魔するなぐらいの気持ちでいました
しかし本当は一人車の中で
なぜか涙が流れたり
ストレスなのか身体中に
蕁麻疹がでるなどしていました
心にも体にも無理が出ていました

私は結婚しても
どうせ相手を幸せにすることは
できないと思っていたのもあり
交際も結婚もしないも
今の妻には言い続けていましたが
根気よく待ってくれて今があります
最後、妻の母から
結婚するつもりがないなら
別れてくれと言われて
数ヶ月悩み
妻に俺がどうしようもなければ
すぐにでも捨ててくれと話し
結婚しました
私も強がっているだけで
本当はとても寂しかったのかも
しれません

妻はとても明るい人で
私と違い重くものを考えない人でした
私が社員が仕事が男とはなど
ごちゃごちゃ話しても
サラッと受け流します
そんな妻といると
自分が十数年歯を食いしばり
守ってきたものは
何か守り方と過ごし方が
違う気がしてきていました
それから一年もしないうちに
今、6歳となるすみちゃんが
生まれました

子供は私の心を癒すと共に
愛で埋め尽くしました
私は子供ともっと長い時間
一緒にすごしたいと思いました
私は人生の大半の時間を
仕事をしすぎて
動悸や体の異変もあり
どうせ長生きはできないだろうと
思っていただけに
小さな子供の短い時間を
共に過ごす事にとても
執着が出てきました

いつ死ぬかなんて
誰にも分からない
それなら何のために
ここまで仕事をしているんだろう
本当に考えさせられました
しかしまだ移住やFIREという
言葉はその時はまだ
一般的に世に広がっては
いませんでした

私は子供といたいと
たまに夜に泣きながらも
会社のためにも働き続けました
社員も会社も取引先も
私の都合で迷惑をかける
わけにはいかない
そういって無理は続きました
その2年後、今は4歳になる
はるちゃんが生まれました

妻も子供をみるのが大変でしたし
私も子供とさらに一緒にいたい
気持ちも増し
仕事を減らす覚悟をしました
社員や取引先にもそのことを告げ
謝罪と共に理解をしてもらいました
みんな話したら
そんなの全然って感じで
簡単に仕事は調整できました
もちろん売り上げは減りましたが
いい意味で周りは気にしませんでした
私が肩に背負っていたものは
自分自身の独りよがりで
もっと早く相談していれば
できたんだと愕然としたのを
覚えています

そして私は仕事を三分の一減らし
休みが日曜日、GW、正月が
とれるようになりました
そして平日も保育園の送迎や
病気の時の看病など
ある程度都合をつけられる
ようになりました
しかし仕事はやはり
時々はトラブルや無理が必要な時もあり
その際はとても苦しい思いをしました

それから2年後
今は2歳になるひーちゃんが
生まれる時にあわせて
コロナショックがやってきました
状況は一変しました
産婦人科にも入れず
立ち会い出産もできず
退院まで面会もできず
もちろんその間
二人の子供達や学校なども
私のワンオペが必要でした

私の業種は影響は受けませんでしたが
私はリモート作業に
全て切り替えました
感染対策も必要でしたが
家のことも
しなけらばならなかったからです
そうして子供は生まれ
妻は戻りました
しかしその大変でもあった状況は
私と妻にとって結婚して以来で
一番幸せな時間となりました

私も24時間家にいて
子供を見ることもでき
妻も新生児を抱えてできないことや
コロナ対策や感染など
不安があっても
とても心強かったと話していました

それが半年続いた時
私は確信し決めました
コロナがおさまっても
在宅仕事にして作業を減らそう
子供が小さな時は今しかない
この時の思い出は
自分にとっても子供にとっても
そして妻にとっても
一生大切な思い出になる
私はFIREする

しかし社員もいます
私の都合で会社を潰すわけにはいないし
私も収入が必要
なので社員一人一人と話し
残りたいと思える待遇や
取引先の仕事を
もらえるならフリーとして
活動したいとか
別の会社に紹介したりなど
少しずつ皆が幸せになれるように
決めてもらい
結局一年半かけて社員をゼロにし
一人会社にしました
私がやれる分の仕事と
フリーに転身した仲間達と
仕事を続けました

そして移住はその中で
妻がしたいと提案してきました
私は日本が好きで
会社も日本にあるし
子供も小さいので
当初行きたいとは思いませんでした
リスクの方が大きく
コロナ禍で移動もしたくなかった
からです

しかし妻の意志は固く
妻は感覚派で理屈はわからないけど
このままでは人生を
後悔すると断言して曲げませんでした
それから2年、コロナ禍でも
妻はその考えは変わりませんでした
そこまで言うのならと
私も覚悟し
それから🇲🇾を調べ
教育移住、国の状況や生活水準
必要なことを調べ上げました
私はその時
所得の制限を超えており
児童手当なども最低しか
もらえていませんでした

そして日本の20年後の
社会の中での子供達の状況を
考えたら
確かに子供3人を
これから助成なしで日本で
育てていき
英語教育などを別途やるとしたら
かなりの費用がかかる
🇲🇾はインターも他国に比べ
安いところも多く
家賃は日本の三分の一以下
ガソリンも55円ℓ
食費も半分程度でしたので
家族が多い私たちには
生活費を下げ
その上で教育水準をあげるには
もってこいだと思いました
そして私の仕事も
リモートで継続できます

私はそして移住をするために
両家の親を説得し
移住に向けて動き出しました
まず会社のオフィスを引き払い
バーチャルオフィスにしました

そして私は23歳から
不動産投資を主にしてきてたので
マンションやアパートや
区分所有をいくつか保有していました
それらは物理的管理もいるので
数戸を残し売却し
その分を株資産に移しました

それから会社の取引先や
仕事関連の方にも
私は移住しFIREすることを告げ
責任ある仕事はもうできないこと
しかしもし
私が自由にできる時間の範囲で
受けられる単発の仕事があれば
FIRE後にも受けたいです
しかし不安は高いのもあり
🇲🇾に行き合わない場合や
リスクが高い場合は
元の仕事に戻れるように
まず3ヶ月間だけ短期留学
しダメなら戻らせて
いただきたいですと
ととても都合のいいことを
話ながらも承諾してもらい
承諾がもらえない取引先は
もちろん消えていきました

私は2022年2月3日に移住し
株資産が一億を超え
配当が税引き後で600万と
なった4月に
月50万を毎月出金し生活すると
というFIREを始めました

🔶現状と見通しと感想
今は2022年11月8日で
移住して9ヶ月が経ちます
🇲🇾の生活は想像よりもとても
過ごしやすく
もちろんいいことばかりでなく
慣れない地で大変なことも多いですが
日本にいる頃よりも
家族の団結力も強く
何より一緒に過ごし
子供達もインターや保育園
環境にも慣れ
🇲🇾の子供優先の社会の中で
伸び伸びと過ごしています🥰
今は確信を持って幸せだと言えます
私たちには🇲🇾は
とてもあっている国なんだと
夫婦で思っています

また仕事についても
おかげさまで時間がある時に
連絡させてもらい
もちろん多くの取引先は
海外は無理だとか様々な理由で
いなくなりましたが
それでも手が空いたら
頼みたいと仕事をさせてくれる
ところもあり
今のところは生活費程度にもなり
そして時間も1週間に数時間程度と
FIRE後の趣味とやりがい程度に
継続ができており
理想的だと思っています
また家賃収入などもありますし
株資産も年初からの
暴落はありつつも
配当は税引き後で800万を超え
毎月50万の出金をしつつも
億を超えてむしろ増え
推移しています
しかし思うことは
もし一億しかないなかで
指数投資だけで
切り崩しながら生活することを
前提にFIREしていたならば
海外生活では学費や
医療費も割合高いので
今年のような暴落相場では
厳しいと実感しました
私は配当投資での
FIREをお勧めします

私のFIREにはまだ段階があります
来年以降で今の法人を
マイクロ法人化し
最低賃金で社会保険を維持すること
🇲🇾で見つけた
自分のビジネスを継続拡大すること
まず私は日本に住民票を残し
定期的に戻ります
私はどこまでいっても
日本国民ですし
老後は日本に戻ることも
視野に入れています
その為、年金なども継続したいですし
海外保険の範囲だけでなく
日本に戻れば社会保険も
適用できるのでうまく活用したいと
思っています
その為、今後のマイクロ法人化は
私の目標です

そしてもう一つがとても
重要ですが
FIREが継続できるのか?
という検証です
移住もFIREもとても
行動力とリスクが高く
また実際にやらなければ
わからないことがたくさんあります

そもそも株投資で私は
資産をちゃんと維持できるのか
もちろんそれに向けて
投資スタイルを変え
できると判断したからこそ
FIREしたのですが
予定以上に
円安に触れたりすることも
実際にありましたし
それを半年、一年まずは
検証して無理なら引き返し
家族のために再出発を
する必要があり
それは移住やFIREを
する前から2年かけて
夫婦で話し合ってきた
覚悟でもあります

そして4月から半年以上経つ
今の段階では
問題なくそれはできていると
判断し継続しています


『まとめ』
人生は一度しかありません
そして会社に勤め働き続けることも
起業し会社を経営することも
自営業で店をすることも
実は移住やFIREにも
近いリスクは顕在しています
勤めている会社や店も
いつ潰れるのかなど分かりません
潰れなくとも減給や
リストラもあります

結局は自分と家族が最も
生活において幸福であり
そして生活できるだけの
お金を捻出できるところの
バランスで人生を決めるしかないと
思っています
それが私たちにとって
移住と投資によるFIREで
あったということだと思いますし
今、何にひとつ後悔はありません

この先の人生は続きます
日本人は私も含め安定を好み
リスクを嫌う傾向があると思います
日本に住み子供を育て
企業に勤めローンで家を建て
定年退職まで勤め上げ
年金生活する
それが昔の安定でしたが
今は少しずつ変わり
自身で投資をして老後の資金を
作れと国が言っていますし
少子化で先の社会保障や
子供達が大きくなった時の
日本の働く場所や必要なものも
見通しは今とは違います

先に何を選択するのが
正しいのかは誰にも分かりません
だからこそ凝り固まった価値観や
想像のリスクにとらわれず
それぞれ自身が思う
最適な幸福と将来性とリスクに
ついて夫婦や家族で向き合い
熟考しながら挑戦していくことが
私は大事だと思っています🙏

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?