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60のルーティーンをつくり1%ずつ改善する~評価の専門家という人間を一人つくるまで~

先日、対話のプロであり、空気研究者のある方と2年ぶりにお話したときのこと。

「たからさんって、アスリートですね!」
ですって!

「アスリート」という言葉に、すぐにはピンときませんでしたが、確かに、そう言われればそうかもしれないなーと思うふしはあります。

自己流で組み立てた生活&仕事の習慣術は、アメリカのトライアスロン選手のルーティーンを参考にしたり、身体資本のピアニストやバレリーナなどのアーティスも参考にしていて、私の日々の生活の中にかなり浸透しています。

実際に、この5年間で積み上げてきた「日々の習慣」というのが60項目ほどあります。

まずは早朝編。朝起きた後は、ベッド上でストレッチ→スプリット開脚→太陽礼拝→先祖供養→アロマをたく→お花の水交換→塩水でうがい→心地よい音楽をかける→足浴→コーヒー豆を挽く→蒸留水を作る→ヨガ→腕立て伏せ→モーニングジャーナル→「問いのノート」にフリーライティング→エスプレッソを淹れる…

そして、仕事編。
エネルギー量と頭脳コンディションによって、3種類のタスクに分けた仕事術。

夕方編は、姪っ子のピアノレッスン、ウォーキング7000歩、英語のPodcast(ブリティッシュ英語とアメリカン英語を半分ずつ)、ウィスパリング通訳。

夜編は、読書、ビジネスのコンセプトづくり、ストレッチ、一日の終わりの音楽を聴くなど。

一日合計60項目です。

日々1%ずつの成長を実感できるように設計をし、自分の身体と相談しながら、淡々とやり続けています。

この1%というのは、自分の人体を使った人体実験の結果ですが、1%という負荷を毎日かけ続けるということが重要で、身体は驚くほどに精密に反応してくれ、その変化に対する感度が鋭くなってくるのです。体重計にのらなくても、ストレッチの深さや呼吸の深さ、筋肉の伸び具合で、自分の体重がバシッと当てられるようになる、というくらい。

私にとっての習慣とは、明日の自分のため、そして1週間後、1か月後、1年後の未来のためのお約束のようなもの。明日の自分が自分のベストでいれるように配慮して、未来の自分が、約束を守りやすいような環境を作ってあげること。

なぜやるのか?

それは、地球の引力に逆らうため。そして、この数年はあまりにも世界が乱気流すぎるから。一瞬でも「まぁ、どうでもいいかな」という意思を忍ばせたら、空中分解しそうなほど、危ない時代になってしまったなと感じます。心身ともに、筋トレしないと窒息しそうになります。

そして、もっと真剣な理由は、価値(学)をプロとして取り扱うことを決めた人間として、自分の価値を永続的に、自動操縦的に磨き続ける手法を自ら開発しないと自己消滅の危機があるから。

感性が狂うと、すべてが狂い始めます。
「狂ってるんじゃない?」なんてこと、誰も指摘してくれません!

それが重力のせいであろうと、乱気流になびいたからであろうと、私達は、そういう時代に生きているのですから、その中でも日々ジャンプするためのコンディション作りをするのが、地球を住処にさせてもらっているものの責任なのではと思っています。

こんな名言があります。

ダイヤモンドはその固さゆえに、ダイヤモンドでしか磨けないという。
ダイヤを磨くにはダイヤが必要。

これが何を意味するのか。考えれば考えるほど深いです。

私なりの解釈は、
「自分を作り上げてきた固有の価値や経験がダイヤモンドであるのなら、今自分が持っているものでしか、自分を磨けない」
ということかなと。

もちろん周囲の人、知識、リソースは自己の成長には不可欠です。でもそれらに手が届く自分であってこそ、初めてそれらを引き寄せることができ、縁が紡がれるわけなので、結局ダイヤモンドの原石(自分)を自分で磨くことが、もっとも確実で堅実な道なのでは、と思うのです。


話をアスリート思考から、習慣へ。
習慣から、自分を磨く自分へ。
そして、磨くの先にある、評価の研究者という「人づくり」というテーマに移します。

私はご存じの通り、人間観察を通じて、人間というものの本質に迫りたい欲求が強いのですが、その奥にある問いのテーマは

「じぶん」という者は、何でできているのか?
生と死のあいだにはどんな境目があるのだろうか?


に行き着くと思っています。

身体をもって実存しているという実感を感じるには、毎日、毎日の時間の流れの中で、自分の意思をもって、丁寧に時間を積み重ね、意思と思考と感情を織り交ぜて「時」を紡いでいくことだ、という結論に行き着きました。

そして、「価値の学問(評価学)を追求する人間をつくる」とは、いったいどんなことを思考し、どんな作業をし、何を疑問に思い、誰と時を刻んでいくことなのか?

今日、明日、そしてその先へと、自分はどうやって作られていくのか?

これを、意識的にちゃんと記録し(データをとり)、時間と労働の関係を自身の身体をつかって体感してみることかなと。

2018年から、この作業を淡々とやり続けています。

・実態(体)を伴う労働 VS. 立場や形式だけの労働の違いはあるのか?

・過去に積み上げた知識だけで延命しようとしていないか?

・1%ずつ成長できるよう(引力に逆らい)、常に学び続けることはできるのか?

そんなことを客観的に確認するために、毎年作成しているインフォグラフィックからのご紹介です(2020年に作成したものです)。

時々寄せられる、下記のような素朴な問いを、徐々に開示していきたいと思って作成しているものです。

「評価の人」って、何をやっている人なのか?
「研究」ってどういうことをやるんですか?
データ収集、データ分析って、頭の中でなにが起こっているの?
インタビューって何を聞いてるの?
解釈・意味付けって何ですか?
なににどれくらい時間をかければ、そういう人間になれるのですか?
どの時点で「できるようになった」という実感が湧くのですか?

これは、Timecampというアプリを使って、日々入力していますが、これをやるようになっての一番大きな変化は、自分の静的・動的エネルギーの流れがよく見えるようになったことです。

集中して論文を書く。何百もの論文を一気に読む、英語で対談する・インタビューするなど、最大級の集中力を要する作業をさらりと苦なくやれるのは、一日あたり何時間か?一週間あたり何時間か?間にどれくらい休憩をはさむのが一番効率的で、かつ自分の一番良い状態を発揮できるか?というようなバイオリズムが分かるようになります。

インフォグラフィック公開当時には、「どうやってデータをとっているのか?」「どうやってつくっているのかを知りたい!」というお声を多数お寄せいただきました。
今後、そのようなワークショップもやりたいなと思っています。

ご関心のある方は、ぜひコメントやDMでお知らせください!


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