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怖い母

最近、子供が喉をつまらせて死亡した事件があった。喉をつまらせることには、高齢者も多いと聞く。特に高齢者は、咀嚼が不十分なのか、喉につまらせるのは、正月に食べるモチが多いらしい。昔は、モチをつまらせたら、即掃除機をくわえさせて、吸い出せと教えれた。
しかし今の掃除機は、前と形が変わっていて、平べたくなっていたり、充電式が多く、そのせいで掃除機の圧がよわくなったりするように感じるので、そういう時には役に立たないような気がする。

私の母は、私が25歳、母が54歳の春に、脳腫瘍で亡くなった。それは桜の満開の時だった。だから私にとって、「桜」は特別なものになった。さらに、父が亡くなった時にも、桜は満開であった。そんな父も早いもので、今年17回忌を迎える。13回忌の時は、コロナ感染症が真っ盛りの時で、法事が出来ず、成瀬家の数少ない法事の中止を余儀なくされた。
私に桜の話をさせたら、いくら時間があっても足りない。しかし私が犬山に越してきてからは、桜といえば「犬山祭」を連想するようになった気がする。

母は、厳格な人であったように思う。私にとっては…しかし社会人になってからは、怖いところもあったが、友達感覚で、宝塚を一緒に観に行ったり、追っかけをするための資金を提供してくれる一面もあった。亡くなった伯父は、母の脳腫瘍がわかった時、母は涙ぐんみ「淳子を頼む」と言ったと言って、最後まで私を唯一親族として、財団を一緒に支えてくれた。

そんな一面もあった母だが、子供心に「怖い!」と思う時が、私が幼い時にあり、その時、私は母に1週間ぐらい寄り付かなかったらしい。母は結構大柄な人だった。私より身長があり、怒った時の顔が、申し訳ないが怖かった。
それは、私が5歳ぐらいの時に起こったと記憶する。私が、いつものお気に入りの飴をなめている時だったらしい。
母が声をかけると、ついさっきまで返事をしていた私が、突然返事をしなくなった。驚いて、窓際にいた私を、母は覗き込んでみた。そうしたら、目を白黒させて、飴を喉につまらしているではないか。母はすぐに「私が飴をのどにつまらせた」とわかり、とっさに娘の足を取り、逆さにして、背中を思い切り「ボン!」と叩いた。そうしたら私は「ゴホッ」っと、つまらせた飴を吐き出し、すぐに大泣きしたらしい。普通は、そんな荒っぽいことはしない。でも子供を守るために、母は必死だったに違いない。後で反省していたと聞いている。
何度も言うようだが、今では考えられないように、本当に荒っぽいことをした。その恐ろしさが私の頭に残ったのか、母にはしばらく寄り付かなかったといわれている。

今は便利なのか、離乳食など具材が、ありがたいことに小さく切ってある。そのせいかわからないが、子供がものを喉につまらせたというニュースを、最近目にしなくなったような気がする。今回の玉子も、小さいウズラ玉子だった。しかしそういう時の対処法を、知らない人が多くなったのかもしれない。本当に残念な話だ。
今回の対処法を避難するわけではないが、どうにかして救うことが出来なかったか?そう思うと悲しい事件である。
亡くなったお子さんのご家族には、心からお悔やみ申し上げる。

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