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「生きる」映画感想文


 純粋に「映画って面白いなぁ」と感じる映画って自分はまだあんまり沢山は出会ったことはなくて、それはつまり、漫画や小説やTVドラマや演劇では代用できない独自の面白さ・他の表現媒体では決して再現できないであろう「映画」だけが作れる面白さを感じさせてくれる作品ですが、「生きる」はそんな感覚を味わえた映画の一つです。まぁ、粗筋のことしか触れませんが。

 「生きる」1952年公開、白黒、監督は黒澤明、主演は志村喬、オリジナル、現代劇。ジャンルはコメディともトラジェディとも言えます。見た人に委ねられるでしょう。前半はつかみだからか笑えるようなシーンも多かった印象です。

 まずタイトルから面白いです。シンプルでストレートですが内容が想像しにくいものです。映画のタイトルの付け方って法則性があるようで掴みどころがないようなものです。黒澤明監督作品は「七人の侍」「姿三四郎」「酔いどれ天使」「乱」「蜘蛛巣城」「どん底」など、おおむね名詞でもってタイトルとしている作品が多いですが、「どですかでん」←(擬音)「まあだだよ」「悪い奴ほどよく眠る」「わが青春に悔いなし」など名詞以外の言葉をタイトルに持ってきている場合もあります。後者のケースは一文、セリフ、などさらに分類できますが往々にして見た人の覚えは良くないです。

 「生きる」は動詞ですが特段これが劇中での印象的なセリフとかではなく、むしろ誰でも聞いたことがありすぎるほど日常で使われている言葉であり、この作品が海外で訳される時もこの動詞がそのまま訳されるのではなく「Ikiru」など音翻訳されるケースすらあります。名詞以外が映画のタイトルになっている時点で珍しい事なのですが、「生きる」はこの作品のテーマをこれ以上ないくらい純粋に表しています。

 この映画のテーマは「後、七十五日しか生きられない男」というものでした。自分は今『複眼の映像 私と黒澤明』(2010 橋本忍 文春文庫)を読んでいるのですがそこに書いてありました。それが書かれた紙を黒澤明から受け取った橋本忍が初稿を完成させ、最終的に小國英雄も加わり3人で決定稿を完成させたそうです。ちなみに初稿の仮題は「渡辺勘治の生涯」だそうで。

 自分だったらこのままタイトルにしちゃうか、「生きられない男」とかに省略しちゃいそうですが、これではこの映画のメッセージが変わってきますからね。

 酒もやらない遊びもやらない生真面目堅実甲斐性無しな生き方をしてきた中年男がある日不治の病により余命数か月と知り、やけ酒やけ遊び仕事全サボりとかやってみるけど満たされない!悩んで悩んでわからなくなって結局行きついた先が、仕事を真面目にこなすこと。男は一区切り大きなプロジェクトを終え、コロリと死にます。残ったのはそのプロジェクトの結果と「なんだかあいつ頑張ってたなぁ、すごかった」という周囲からの印象だけ。

 「死ぬ気でやってみろ」という言葉を今まで生きてきて何度も聞いてきたし見てきたし読んできたんですが、この映画ほど説得力を持って感じられたことはなかったです。どだい無理な言葉なんですよこれは。だって死なないって分かってるし。失敗したらお前が俺を殺すんか?ありえない。だからこの激励には言葉ほどの効果がない。人は誰がいつ死ぬかは基本的には分からない。でもこの映画ではそれが起こる。

 人間は自分がいつ死ぬか分からない。だからこそ安心して生きていけるし未来に希望も持てる。人類文明は「死」を出来る限り切り離していこうとしているんです。特に西洋文化はそうです。「死」を対照的なものとして、イレギュラーな出来事として日常生活から分離する文化が近代は特に加速しています。医療技術も発達して、犯罪率も減って、赤ちゃんは簡単に死なないし、年寄りは長生きする世の中。自分も14歳のころ祖父が老衰死するまでは「死」を実感したことがありませんでした。なんて社会。

 しかしこの映画にはその思想を必ずしも良しとしない側面があります。死を目前に控えた人間の必死の行動を「生きる」と形容しているからです。もちろんこれだけを「生きる」として限定しているわけではないんですが、主人公は直近の死の自覚なしには「生きる」ことが出来なかったわけで。「死」あるからこその「生」として描写されています。その「生」のなんと美しいことか。

 なぜこんなに「生きる」が美しく見えたのかは割と単純です。「死」と対比されているからです。死ぬほど喉が渇いたときのコップ一杯の水、雨続きの日々の不意の晴れ間、男だらけの中の女、暗闇の中の蠟燭の明かり、そして、余命宣告された後の残された時間。対比はとても単純ですがそれを真っすぐ機能させてくる物語は案外少ない気がします。

死ぬと思って生きたいですね。

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