見出し画像

なぜ、子どもを学校に行かせる必要があるのか?

毎週日曜21:00〜のHappiness Catalyst 🇯🇵& Educational Visits Denmark 🇩🇰子どもや若者の幸福、発達、学習、教育のサポートをする北欧デンマーク独自の専門家Pædagog(ペタゴー)との対話。

6/6(日)は「なぜ、子どもを学校に行かせる必要があるのか?」という保護者の視点から話していきました。というのも、私の6歳の娘は、この4月から小学生になり、2ヶ月が過ぎて「家で学校したい。ipadでやればいい」「学校には、行っても行かなくても、どっちでもいいんだけど」とのこと。

我が家の基本方針は、主体的な意思決定を尊重するという形で6年間、育ててきているので娘の中では「学校は、必ず、毎日、行かなくてはいけない場所」という考えには、なっていないようです(良くも悪くも)。

毎日、毎日、何かを自分で創り出すのが大好き。そして、youtubeも大好き。youtubeでも、工作や制作系のチャンネルを好んで見ている様子。なので、図工は大好き。それから、学校が終わった後の”学童”も大好き。

ポイントは「学校が嫌だ」「学校に行きたくない」というのではないのです。「なぜ、学校にいく必要があるのか?」という点について、彼女自身、毎日、行かなければいけない動機や理由が無い状態。「行きたいときに行けば良いのでは?」と考えている。我が娘ながら、やはり、発想が自由です😅

娘は、保育園の年中のころには、平仮名に興味を持ち、お友達たちとお手紙交換をして遊んでいました。最近は、読める漢字がだいぶ増えていて、時々、私を驚かせます。youtubeを通して、自然と学んでいる漢字や語彙が、非常に多いようです。例えば、”鬼滅の刃”は、キャラの名前に、難しい漢字や読みが使われていたのも多かったのですが、遊びながら学習してしまったので、漢字を学ぶことに抵抗感がありません。ある程度の本なら、読み仮名無しでも、文章の前後の文脈に沿って読みあげます。

今の時間割は、毎日「国語」がありますが、察するに、いわゆる”授業”の何かが、娘の興味や、学び方にフィットしていない可能性が高そうだなと感じています。

「なぜ、学校にいく必要があるのか?」
「行きたいときに行けば良いのでは?」
子どもたちから、このように問われた時に、皆さんはどのように答えるでしょうか?

Madsからは、
・ベーシックナレッジ
・ベーシックスキル
という言葉がでました。

家で自由に興味があることをオンラインで学ぶことができる。その一方で、自分が興味がないことでも基本的な学習スキルを学ぶことはその後の将来に役に立つことがある、このバランスが重要。その子が、興味があること、没頭することに取り組むことは、その後に大きな力になるし、大人になってからも大事なこと。

創造性、多様性、学ぶべきこと、必要な基礎的なこと、自分が興味なくても必要なことに従事する力も一方で必要。これから生きていく中で、自分が求められていることもできる力。その両方が必要だという話にもなった。両方進めていくことが重要。

日本の子供たちは、幼稚園や保育園から学校にいくというところで、規律等も厳しく、かなり状況が変わる環境を受け入れなければいけないという文化がある。

さて、デンマークの放課後。デンマークのユースセンター(放課後アクティビティ:学童に似ている)では95%が自分のスマホで遊んでいるそう。できるだけペタゴーたちが準備しているアクティビティに参加してくれるよう働きかけるけれど、子どもたちは、みんなスマホで遊んでいるそう。もちろん、子どもたちがスマホで遊ぶ自由もある。

となれば、ペタゴーたちがやることは、より面白いアクティビティを提供するようにしていく必要があるということ!子どもたちをコントロールするのではなく、興味のあるもの、魅力的なものにしていく必要がある。そして瞬間的に楽しいと思えないような学習に近いようなものも自分を従事させる必要があるがあるということを学ぶ必要もある。

ここで私の中で、大きな問いが出てきました。
personal freedom(個人の自由)や個人のwellbeingをとても大切にしているデンマークの教育現場。。。

Q:楽しいと思えないもの、興味のないものにも”子どもたちが楽しそうだ、と思って主体的にやってみようという行動を促すものとは何だろうか?

Madsからの回答は、とってもシンプルでした。
ーーーーーーーーーー
教師と生徒の信頼関係
ーーーーーーーーーー
どういうことかというと、この子がどういう子どもかを知っていれば、先生はときに、これをやらせるということに背中を押すことができる。生徒からしたら、この先生の言うことなら、やってみようという気持ちになれる。

実際に、そのような先生は、どんな状況においても落ち着いていて、すごく静かであり、子どもとの関係性が友好的であり、時に、必要なときは子どもたちを率いることができる。子どもたちを自然に導いていくことができる人。

そして、これは、親にも当てはまること。やらなければいけないことも、人間関係、信頼関係が重要になってくる。子どもが、これがしたい、別のことがしたいといっていることについて、他のことを取り入れたいと思っているのか、逃げたいと思っているのかを、判断する。

ここまでの話を聞いて、さらに、私の個人的な疑問として、なぜ、デンマークでは、そこまで信頼関係を構築できるのか?何を見て、どのようにそれが出来上がっていくのか?という問いが湧き上がってきました。
Madsからは、次のコメントが返ってきました。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
どんな風に、大人と子ども、大人と大人が”信頼関係”を築くのかも、私たちが達成すべきwellbeingでもあるから
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

この「信頼」という言葉!
これまでも、本当に良く出てくる!!

確かに、デンマークは「信頼」という価値観が、様々なところに見られるし、それが一貫して、育まれていると思ったことがある記憶が蘇ってきました。

私の主観ですが、 
・信頼は、心理的な安心安全をうむ
・批判や非難は、不安と恐怖をうむ
そもそも「信頼関係」は、お互いの立場が”対等である”と心の底から思っていないと、成り立たないでしょう。どちらかが上で、どちらかが下と感じている限り「主従関係」になっていくと感じています。

これも、私の視点ですが、日本とデンマークの構造の特徴として
🇯🇵日本=縦社会=ヒエラルキー=上下関係重視
🇩🇰デンマーク=横社会=フラット=対等関係重視
ということをお伝えすることがあります。どちらが良い悪いではなく、私が個人的にそう感じるシーンが多いのです。

ある二人において、「私たちは、心地良い信頼関係」が作れていると感じるか?というテーマで対話をしたら、上下としての(見えない)力関係が働いているのか、それとも、対等な力関係なのかがわかりそうな気がします。
さて、話を冒頭に戻すと、
「なぜ、子どもを学校に行かせる必要があるのか?」
Madsは、自身の子どもをホームスクーリングで育てると考えているそう!さて、どういうことか、もっと、聞いてみたい。でも、時間が来たから、今日は、ここまで。

次回は「オンラインスクーリング」や「ホームスクーリング」の可能性について話そうと思います!

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?