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【symposium2】(Part1)「クバへ/クバから」第2回座談会(レクチャー2)上演記録「『クバへ/クバから』の写真群と沖縄写真史をめぐって」

(当日資料はこちら

三野新+いぬのせなか座写真/演劇プロジェクトについて

(※別階のイベントでスモークを焚く演出をやりすぎ、火災報知器が誤作動して一時避難したため、開始時間を30分遅らせて始めました)

三野 三野新、いぬのせなか座の写真演劇プロジェクト、「クバへ/クバから」の第2回座談会を始めます。よろしくお願いします。

笠井 自己紹介をお願いします。

三野 私が三野新です。

山本 今回のプロジェクトで三野さんといっしょに活動している、いぬのせなか座というグループの主宰である山本浩貴です。よろしくお願いします。

h hです。お願いします。

笠井 笠井です。

なまけ なまけです。

鈴木 鈴木一平です。

三野 マスクしながらお話するんですけど、ちょっと大きめの声でお願いします。

鈴木 オッケーです。

山本 開始直前に会場で火災報知器が鳴り、急遽避難などをしていた関係で、遅れてしまい申し訳ありませんでした。火災ではなく問題も解消したということで――まだときおり放送が鳴っていたりするんですが――始めていきたいと思います。

「クバへ/クバから」プロジェクトは、写真家・舞台作家の三野新さんによる、「沖縄の風景のイメージ」を対象とした写真集を共同制作するものです。今からちょうど2週間前となる10月10日に、Web上で制作発表をし、本格始動しました。これから約8か月間、来年5月までのあいだに、レクチャーやシンポジウム、オンラインワークショップなどを行ない、それらを通じて三野さんの写真集『クバへ/クバから』(仮)を制作していきます。

 前回の座談会は、9月6日に、今日と同じく、ANB Tokyoにて無観客収録しました。ANB Tokyoさんは10月11日にオープンしたばかりの六本木のアートスペースで、ぼくたちはいま、そのオープニング展の会場内で収録・配信を行なっています。ちなみに三野さんも同展に『「息」をし続けている』を出品しています。

 第1回の内容としては、三野新さんの過去作について一気に概観する、収録時間5時間弱に及ぶかなりやばい座談会でした。映像アーカイヴは全編Web上で無料公開しています。さらにそのデータを元に、作品画像なども追加した一種の増補版たるテキストアーカイヴも、後に写真集に収録する前提で、作成していっています。noteの定期購読マガジンに登録していただくとすべて閲覧できますので、ぜひYouTubeの概要欄からチェックしてみてください。

 ということで――第2回となる今回の座談会では、プロジェクトの主要モチーフである、沖縄の風景をめぐる写真やその歴史、すなわち沖縄写真史が、テーマとなります。まず笠井さんから、前回の座談会を中心に、これまでプロジェクト内で為された議論について振り返ってもらいます。その上で、三野さんから、自身の「クバへ/クバから」における写真作品の背景となった議論について、レクチャーしてもらいます。それらを受けてみなで議論しつつ、さらに後半では、まだ公にはしていない三野さんの沖縄写真も今日は実際に見ていければと思います。

 では、笠井さん、よろしくお願いします。


きっかけとなった身振り/役柄/アーカイブ

笠井 はい。五分ぐらいで五時間を要約するので、かなり抜け落ちるところがあると思います。資料公開されてるものだけでもお読みいただくと、何となく雰囲気が分かるかなと思います。YouTubeの配信だと概要欄に当日の、僕がこれから話すレジュメのURLが載っているので、それを見てください。ざっくりしたところだけ話します。

 僕たちいぬのせなか座が三野新さんとやり取りを始めて、もう数年になります。三野さんが作品を発表し、展示をする時に、山本くんや一平くんがゲストとして呼ばれて登壇したり。その展示・作品について座談会を行なって、ある種の批評を行なうという関係が長らく続いています。かたや三野さんは、ある時期から写真集の出版を目指して、沖縄を訪ねて取材・撮影をして、写真を撮り溜めていました。

 ところが、三野さんのごく私的な心理的な抵抗をはじめとした事情がいろいろと重なって――それを明らかにすることもこのプロジェクトの目的なんですけれど――沖縄で撮影されたものを、その場所から離れて、東京でそのまま写真集として出版して流通させたり、そのまま展示することになかなか踏み切れないんだと相談を受けました。そこからこのプロジェクトが始まっています。

 とはいえ三野さんも、それをそのままで終わらせる考えはなくて。どうにかして写真集として、あるいは別の形で、三野さん自身にとって、現地にいる方々にとっても、あるいは僕たちのように、周辺でそれに関わる人たちにとっても、何らかの当事者性を持って、その表現を可能にする、「出来るようにすること」ができないか。そのための自由や、資格を確立できないか。このことを、このプロジェクトでは、中心的なテーマの一つとして大きく扱っていきます。

 前回の座談会や、ウェブサイトに公表されたステートメントをお読み頂ければと思うんですけれど、三野さんがこれまでにどういうことを感じて、あるいは長い10年近くの作歴の中で、テーマやモチーフに選んだことはなにか。大きく三つだけ、ここでは紹介します。

 読み上げますと、三野さんにとって何かを表現する(物語にする、フィクションにする)ことは、それに先立つ現実の場所があって、そこに対する介入を行うための、ある種の「仕切り・境界・フィルター」のようなものです。そのフィクション(表現)は、現実との媒介となり、ある種の偏りをもたらす仕組み(装置)として働く。どうやらそういう風に三野さんは考えている。

 その仕組みを生み出す方法として「身振り」がある。「身振り」とは、具体的な体を動かすことでもあれば、何かを言葉にしたり、形にしたり、あるいは写真を撮ることも含みます。三野さんは最近「直接性のある喩」と言っているんですけれど、フィクションでありながら現実としてもあってしまう身振り(喩)とはどういうものか。それをこの世界でとりあえず、ないしはきちんと作用させ、現実に対して働かせるには、どういう条件が必要なのか。長らく演劇・パフォーマンスをやってきた三野さんは、この条件を「役柄」と呼んだりしています。

 そしてもう一つ、そのような「身振り(表現)」の積み重ねは「アーカイヴ」になる。その「アーカイヴ」をどのような形で、三野さん自身が、僕たち自身が、あるいはこの場に関わりのない第三者の人たちが、きちんと再現したり、再演できる形――生きいきとしたイメージとして止めたり動かしたりできるか。また、その制作プロセスの全体を、どのようにして――今日この場もそうですけど――撮影/上演するか。そういったことを意識をしてきたのかなと、僕は受けとめています。


傷つける恐怖、納得できる表現

笠井 第一回の座談会では、前半で三野さんの作歴(十年分)を話してもらった後、僕たちいぬのせなか座が――今夜ご覧のお客さん方と同じように――何も知らない、知識もまばら、経験もそれぞれという状態で、三野さんの表現を受け止めるためには何が必要か、三野さんが沖縄で撮影した写真や、長い歴史のある沖縄の写真の歴史を扱う前に話し合いました。

 大きく三つ論点が出ました。まずひとつは、そのような「表現(身振り)」を受け止める時の/人の感情をどう扱うか。その感情を扱う技術としてどのような表現が行われるか。これが大きな主題になりました。「恐怖」という言葉も出てきています。

 もうひとつ、そのような「表現(身振り)」を、様々な立場にいる第三者の方と――三野さんにとってはいぬのせなか座と、このプロジェクトチームにとってはご覧になっている方、ご覧になっていない方も含めたみなさんと――、納得し、理解し、受け止められる形で世に問うていく。そのための合意や理解はどのように成り立たせられるのか。まだ僕たちとしての答えも出ていないところなんですけど、扱おうとしています。

 最後に、そうした(芸術)表現において、もしくは生活全般において、何かを表に出す(表現する、言い表す)ことは、それを受け止めた人を何かしらの形で傷つけ、痛め、変えてしまうかもしれない。そのリスクを踏まえた上で、なるべくリスクを負わないような――侵襲性と専門用語では言うんですけれど――受け取ったときのダメージが弱くなるような形で表現を行うには、どのような手続きが考えられるのかが話題になりました。


「手がかりのなさ」を手繰り寄せるには

笠井 僕の所感としてひと言だけ言うとすれば、長年の関係があるとはいえ、まだよく知らない1人の作家(三野さん)が、この十年間どういう表現を蓄積してきたのか。それをどさっと受け止めた上で、今回「沖縄の風景のイメージ」について扱おうとしている。その「手がかりのなさ」が第一回は問題になっていました。

 そして、僕たちの中でも「そうしなきゃね」という話になったのは、その「手がかりのなさ」を僕たちが――あるいは三野さんが表現者自身として、どのようにたぐり寄せていくか、つながりを作っていくか。それを探るために、一度「個別」の表現・作品に立ち返って話をしよう、そこにしか、今の三野さんが、僕たちが、この社会が抱える何かを表現して、その表現が何らかの影響を広く持ってしまうかもしれない状況で、それでも表現を行なうことを肯定する理由も、方法も、資格も、手に入らないんじゃないか。

 そういう結論に達したのだと思っています。

 だから今日は、三野さんも、いぬのせなか座のみんなも、いろいろな写真集を持ち込んでいて、それを見ながら、この次に僕たちはどういうことを考えられるのか、写真集に向けて、どういう表現が可能なのか、避けた方がいいのか。そういうことを話していこうと思います。

 導入がちょっと長くなっちゃったんですけど、これから三野さんに、僕たちも沖縄の写真史について、レクチャーをお願いしようと思います。

(視聴者のみなさんに)一つだけご注意いただきたいのは、この短い時間の中ですべての歴史をまんべんなく語り尽くすのではなくて、あくまでも、三野さんがこれまで撮影してきた写真や、個人的なテーマ・モチーフとして抱えてきたことの延長線で、ある歴史を参照するとどのように見えるかを語ってもらうつもりです。

 かなり飛び飛びの話し方になるかもしれないですけれど、YouTubeの概要欄にレジュメも貼られているので、それを見ながら聞いて頂ければと思います。では、三野さんからレクチャーをお願いします。

(Part2へつづく

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写真家・舞台作家の三野新と、いぬのせなか座による、沖縄の風景のイメージをモチーフとした写真集を共同制作するプロジェクト「クバへ/クバから」…

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