深夜のTwitterTLは楽しくない

僕は今“楽しくない”と思っている。
時は午前4時過ぎ。漠然と楽しくないなあと思いながら更新されないタイムラインを猿のように引っ張り続けて既に数時間が経過していた。おすすめタブとかいう多少種類が豊富なコンテンツさえも昼間っから引っ張って眺めてを繰り返していたら見たことのあるツイートばかりが何度も流れてきてなんだか辟易してくる。…いやまあ、昼間っから今の今まで(他のことをしながらとはいえ)延々とTwitterを眺めていたらそりゃ辟易とやらもするわなという感じなのだが。
しかし、自覚しようがしまいが僕はそんな『タイムラインを引っ張る作業』なんて不毛なものを今も止められずにいる。わずかな快楽を求めてずっとずっと何時間も続けている。僕は偶然金がかからなかっただけのギャンブル依存症に違いない。楽しくないのに楽しくなるような「期待」を込めてタイムラインを引っ張る。大体満足の行くものは得られない。というより、面白いはずのものを眼中に捉えたところで疲れきった僕の脳味噌はもはやどんな情報も面白いとは感じられずに画面を滑っていくだろうから僕にとって今の時間は本当に不毛極まりないものなのだ。
不意に目新しい情報がなくなったと感じてはアカウントを変えまたタイムラインを引っ張る。時間が経てば目新しいものが出てくるのだろうと思い込み毎時毎分キュッキュと指を下に引っ張り続けている。何度も何度も繰り返しているが僕は一体日付が変わってから何回これをしたのだろう?画面録画でもして数えてみたら僕は自分の行いの愚かさを再認識して辞めるよう努めるのだろうか?
この文章を書いている今さえも途中でその作業を挟んでいる。ああ僕は楽しくない!もう報酬系が崩壊している。一般人のそれと比べればハッキリとしているだろうと思う。
わずかな期待にドーパミンを乗せてわずかな絶望を得る。この繰り返し。おまけに液晶画面を眺め続けているからか眠気など微塵も感じられない。この繰り返し。
更におかしなことにこれは今日に始まったことではなく僕にとってはほとんど毎日のことなのだ。毎日この時間は大抵楽しくないしそのせいか変な思考さえもよぎってくる。狂った僕の日常は一般人の住む世の中に溶け込んでおりつまり僕の生活と一般人の生活は同時に存在しているということでまぁなんだか物凄く恐ろしいものに感じるだとか、言語化してもよく分からない思考が次々と脳味噌に走っていく。自分ばかりが呟いている虚無のタイムラインを目に焼き付けていると思考までもが歪んでいってそんなどうでもいいことさえも恐ろしく感じてくる。皆が寝静まり、誰にも届かない呟きと誰も発信しないタイムラインが僕を狂わせていく。
どうでもいいテキストデータと画像ファイルを目に滑らせながら連想した気狂いの発言を次々とどうでもいいタイムラインに吐き出していく。自分の気狂いの発言を見て更に連想を繋げる。それを誤魔化すために色んなタイムラインを更新して別の情報を得ようとする。
『孤独が人を狂わせたのか?それとも、元から狂っているからこんな狂った思考がポンポンと飽きずに出てくるのか?』など鶏が先か卵が先かというようなことを考える。僕がSNSで自分や自分の異常性のことを考えるとよくある哲学の命題に至ってしまう。やってることは“タイムラインを更新して度々ツイートを繋げているだけ”なのに…だ。
ああ、5時になった。これを区切りに眠剤を飲んでこのTwitterアカウントは一旦休止しよう。そして昼になったらまたこの馬鹿馬鹿しい営為を始めよう。
眠っても僕のTwitterは終わらない。死ぬかサービスを終了するかでもしないと僕はこの輪廻じみた依存から抜け出すことはないだろう。

P.S.Twitterは終わらない。Xなんてものは具現化しただけの幻覚に過ぎないのだ。

金に余裕のある人類からはいくらでもほしいけど金のない人は無理しちゃいけないよ