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【プロ野球開幕!⚾️】ドラゴンズ 歴代ホームユニフォーム紹介(97年〜)

いよいよプロ野球開幕ですね!今回は私が最も応援する、中日ドラゴンズの歴代ホームユニフォームを紹介したいと思います。
たくさんありすぎるので、本拠地がナゴヤドームに移った1997年以降のホームユニフォームの変遷を見ていきましょう!
名称がバンテリンドームナゴヤになった2021年からのユニフォームももちろん紹介します!!
※なお今回はサードユニフォーム等の紹介はありませんのでご了承ください。
もし情報に誤りがありましたらご教示頂ければ幸いです。

◯1997〜2003星野監督、山田監督時代

中日新聞「山崎武司vs.ナゴヤドーム 異種格闘3年間の記録」から引用 2020.8.28掲載
https://plus.chunichi.co.jp/blog/hirose/article/762/9667/

星野監督時代と言ったらこのユニフォームですよね。ナゴヤ球場からナゴヤドームに本拠地を移転した1997年、ユニフォームもマイナーチェンジされました。ドジャースタイプはそのままですが、帽子の「D」マークと生地が変更されています。97年は新本拠地のナゴヤドームに対応できず最下位にでしたが、99年にリーグ優勝を果たしました。その後2002〜2003年の山田監督を経て、落合監督にバトンタッチされました。
 写真は中日ファンのみならず、野球ファンや東海地方にお住まいの方なら一度は見たことがある写真かもしれませんね。99年9月マジック6で迎えた阪神戦で、山崎選手が逆転サヨナラHRを放った後のガッツポーズの瞬間です。

◯2004〜2011 落合監督時代

スポニチ「落合博満氏 CSには反対「なんで6球団しかないのに3つで争わないといけないの?」から引用2018.12.14掲載
https://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2018/12/14/gazo/20181214s00001173343000p.html

ドラゴンズのユニフォームというとこのイメージを持たれる方が多いかもしれません。
やはり強いユニフォームは記憶に残りますよね。
強いだけでなく8年という長い期間使用されたユニフォームでもあります。特徴的な大文字のロゴは落合監督時代の象徴だと思います。発表当時は「ダサい」という声もあったようですが、今や最も人気の歴代ユニフォームのひとつではないでしょうか。
落合監督時代は、中日の歴史で間違いなく一番の黄金期です。今でもこのユニフォームを着て応援しているファンも多いですよね。

◯2012〜2013 高木監督時代

中日ドラゴンズオフィシャルウェブサイトから引用
https://dragons.jp/game/gallery/2012/?year=2012&month=10&day=15&id=77

落合監督が退任し、2012年から高木監督が就任しました。ユニフォームも一新され、9年ぶりに筆記体が復活しました。「CD」マークは歴代でも珍しい赤色で躍動感のあるものに。私は個人的に好きなユニフォームですが使用された期間は短く、Bクラスに低迷した2013年に高木監督は退任となりました。この2013年以降、ドラゴンズは長い低迷期に入ることになります。

◯2014〜2016 谷繁監督時代

産経フォト「谷繁、3018試合出場 野村抜くプロ野球新記録」から引用 2015.7.28掲載
https://www.sankei.com/smp/photo/story/expand/150728/sty1507280016-p1.html

2013年オフの監督発表に多くの人が驚いたことでしょう。落合氏再就任の噂もあった中で、谷繁選手が選手兼任監督として就任しました。
ユニフォームは1954年に優勝した当時のユニフォームをアレンジしたもの。筆記体も当時に近い形です。色は黒に見えますが鉄紺だそうです。しかし成績は振るわず、このユニフォームは暗黒期の象徴的存在になってしまいました。デザインは谷繁監督と同じく2013年オフにGMに就任した落合氏が提案したと言われています。

◯2017〜2018 森監督時代

BASEBALLKING「“ドラゴンズブルー”復活の中日 上位進出のカギは投手力」から引用2017.1.31掲載
https://baseballking.jp/ns/102210

2016年のシーズン途中に休養した、谷繁監督の代わりに指揮をとった森氏が監督に就任。
森監督はそれまであまり中日が力をいれてこなかったファンサービスにも力を入れると発表しました。
ユニフォームも6年ぶりにドラゴンズブルーが戻りました。
森監督は外見はコワモテですが、落合政権時から選手の信頼も厚く、その人柄で選手のみならずファンからも人気がありました。順位は振いませんでしたが、若手の育成や現在の中日になくてはならないマルティネス投手を獲得するなど、ドラゴンズ再建に貢献しました。

◯2019〜2022与田監督、立浪監督時代

BASEBALLKING「中日投手が5人! 直近20年ノーヒットノーラン達成者」から引用 2020.4.13掲載
https://baseballking.jp/ns/column/224941

森監督から与田監督に中日再建が引き継がれ、ユニフォームもマイナーチェンジされました。
肩のラインがなくなる代わりに、歴代のユニフォームでも珍しい細いブルーのラインが入ったデザインになりました。2年目の2020年、コロナの影響で開幕が遅れましたが8年ぶりのAクラスに!
CSがなかったことが残念ですが。。
与田監督は、とても選手思いの監督だったと言われており、当時苦しんでいた大野雄大投手を復活させたエピソードは有名ですね。
ドラフトでは、根尾選手や石川選手を引き当てる運の強さもありました。
そして2022年、長年ドラゴンズの監督候補に上がっていた立浪氏が監督に就任しました。
ただユニフォームは契約上の都合もあり変更はありませんでした。

◯2023〜 立浪監督時代

中日ドラゴンズオフィシャルウェブサイトから引用 
https://dragons.jp/news/2022/22112601.php

立浪監督2年目の2023年にモデルチェンジされたユニフォームは、久々にドジャースタイプに近いものとなりました。写真の通り、ビジターも筆記体を使う新しいデザインが採用されました。
しかしこの年チームは最下位に沈み、2013年から10年経っても、完全に低迷期から抜け出せずにいるのが現状です。

◯最後に

中日スポーツ「大谷翔平級だ!また5階席弾だ!中日・細川成也が再び驚愕弾!オープン戦第3号、16日の阪神戦でも5階席への特大弾」から引用 2024.3.20掲載
https://www.chunichi.co.jp/article/871097

2024年のペナントレースがいよいよ今日29日から始まります。
ドラゴンズは見事オープン戦をソフトバンクと同率の優勝で終え、今年は何か違う予感をさせてくれています。巨人から移籍した中田選手や、オープン戦絶好調だった細川選手をはじめ、投打ともに期待できる選手が揃っています。
さらに今年は辰年です。最後に優勝争いとCS出場をした2012年からちょうど一回りですから、干支も味方につけて優勝を祈って皆さんで応援しましょう!
好評であれば、1996年以前の歴代ユニフォームも載せたいと思いますのでお待ちください!最後までお読みいただきありがとうございました。

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