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戦前のプロパガンダ雑誌の裏側――『戦争のグラフィズム―回想の「FRONT」』を読んで

多川精一『戦争のグラフィズム―回想の「FRONT」』が、グラフィックデザイン本としても、プロパガンダ雑誌制作の裏話としても、おもしろかったよ。

デザインの実験場としてのプロパガンダ紙

雑誌「FRONT」は、1942年から第二次世界大戦の終戦まで発刊された、プロパガンダ・写真誌。ロシア・アバンギャルドの影響を受けた斬新なレイアウトで、日本のグラフィックデザイン史に名前を残している。

ぼくもグラフィックデザイン史の本などで見たことがあり、気にはなっていた。80年代末に復刊されたものを、ネットの古書店で見つけたが、10万円オーバーでとても手が出せる値段ではない。かわりに図版が多そうな、こちらを購入。著者が「FRONT」の元制作スタッフで、「FRONT」の誌面レイアウトだけでなく、政治的背景や制作過程、版元の東方社のことがよくわかる内容で、結果的には正解だった。

予想以上に文中に「FRONT」の誌面の写真が多く、読んでいて楽しい。特におもしろかったのは、レイアウトの変遷。ぼくらが「FRONT」と聞いて思い出す、ロシア・アバンギャルド味が強いレイアウトは前期のものだそうだ。直線を意識し、軍艦や軍人などを大胆にコラージュした力強いデザインが、どストレートにかっこいい。本家ロシア・アバンギャルドと同様、これぞプロパガンダ!という感じでもある。

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これが、後期になると、ロシア・アバンギャルドの力強さはややなりを潜め、優美さが加わってくる。著者も指摘しているが、特に「インド特集号」などはオリジナリティがあり、前期よりも出来がいいように感じる。デザインの実験場として、通常の雑誌ではできない誌面づくりを存分に試しているのが伝わってくる。

プロパガンダというビジネスはペイしない

1930年代末に広告宣伝業界に流れた「バスに乗り遅れるな」というムードは興味深い。戦争になると商品宣伝の仕事がなくなるから、かわりに国策・翼賛体制に乗ってプロパガンダの仕事を得ようということだ。軍歌研究者の辻田真佐憲が、軍歌について「レコード会社にとって、軍歌は商品だった。軍に強制されてつくられたのではなく、消費者に売れたからつくったのだ。軍歌が売れることは、レコード会社・軍・消費者の全員にとってWIN-WINだったが、結局戦争に負けたので、全員がLOSEになった」と言っていた。軍歌と同じ事が、広告宣伝の業界でも起きたといえる。プロパガンダというビジネスは、長期的に見るとペイしなかったのだ。

ただし、「FRONT」の場合、スタッフは原弘や木村伊兵衛など、当代一流のクリエイター達だ。彼らが手間を存分にかけて実験的な誌面を制作し、当時では考えられないくらい豪華な本の造りであった。本の造りを優先した結果、冊子が重くなりすぎて流通に支障をきたしたという話からもわかるとおり、商売っ気が一切ない。ビジネスというよりも、「国策で集めた資金で、自分達のアイデアを実現する場」という側面が強かったのだろう。

版元・東方社と満鉄の共通点

著版元である東方社はある種の国策企業でありながら、左翼の活動家なども在籍し、戦時下でありながらとても自由な雰囲気だったそうだ。資料室に発禁本なども大量に所蔵していたというエピソードも披露されている。このあたりの雰囲気は、同じ国策企業でありながらソ連のシンパなどを雇い入れていた満鉄調査部などを連想させて興味深い。当然、国や財界の支援が前提として成り立っていて、財務面で自立していないので継続性に乏しい。結局、終戦後に東方社は解散する。旧スタッフはその後、日本のデザイン界をリードしていく存在になっていく。

若くして東方社に入社して、FRONTに携わった著者の青春物語としても読める。いい本だった。

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