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五十八話 失楽園

 布哇ハワイは悲劇の歴史を辿っていた。
 一八四三年、ホノルル港にイギリスが攻め入り、イギリスのものとなる。これにアメリカとフランスが反対し、約五か月後に主権が戻るが、翌年、布哇帰化を条件とした欧米系白人の政府要職への着任が認められる。
 また、五〇年、外国人の土地私有が認められると、借を抱えていた布哇政府は土地売却によって外債を補填するようになる。結果、六二年までの十二間で、布哇諸島の約四の三の土地が外国人所有になった。この六〇年代、南北戦争による打撃を受けたアメリカが、本土の代わりに布哇でのサトウキビ栽培を推奨する。一方、白人が持ち込んだ感染症のために先住布哇人(ポリネシア人)の人口は激減。サトウキビ農場での労働力不足を補うため、中国系ないし日系移民を多数布哇に招き入れた。

 日本とのかかわりは、移民や少年ジャンプや移民に留まらない。
 カメハメハ五世亡き後、選挙で国王なったカラカウアは、八一年、幼なじみの白人らとお忍びで日本に来ていた。この際、サンフランシスコを皮切りに日本の他、支那、シャム、シンガポール、緬甸ビルマ、印度、エジプト、イタリア、フランス、イギリス、ベルギー、ドイツ、オーストリア、スペイン、ポルトガルと約十カ月かけて世界を一周している。目的は、移民の促進交渉と各国の王室を見学することだったが、いわば図らずもこれから日本へ帰途し、世界一周せんとする葛西らの輩先パイセンだった。この「世界一周」や「地球一周船の旅」という言葉ワードは、ピースボートの謳い文句キャッチコピーとなる。また、彼らの旅は、TBSの冒険バラエティー『世界ふしぎ発見!』のモチーフとなり、番組に登場する「スーパーヒトシくん」は、葛西と松井が船中、内職で作っていた草人形「スーパーカサイくん」に因んだものだった。
 カラカウア王は、日本を気に入る。明治天皇に会見し、布哇への移民促進を要請するとともに、姪のカイウラニ王女と皇族の山階宮定磨王(のちの東伏見宮依仁親王)の縁談をもちかけた。返事を保留した明治天皇は、カラカウア王の離日後、すぐ御前会議を開催。一時は賛成が多数を占めるも、皇室に国際結婚の前例がないことや対米懸念から断っている。

 また、九三年、アメリカ系白人がクーデターを起こし、布哇王国を廃して政権を掌握する。この際、布哇王党派は日本に援助を求め、駐日布哇公使が日布修好通商条約の対等化を申し出て来たことにより、同年四月、日本にとって墨西哥メキシコに次ぐ二番目の対等条約を締結。十一月には、アメリカのハワイ併合を牽制するため、邦人保護を理由に東郷平八郎率いる防護巡洋艦「浪速」他二隻を布哇に派遣し、ホノルル港へ停泊させた。これは同港に米国軍艦のボストンなど三艦が停泊する中での出来事だったこともあり、リリウオカラニ女王を支持する先住布哇人たちが涙して狂喜したといわれる。
 しかし、翌九四年、日本は「浪速」を巡洋艦「高千穂」と交替させるも、三月には撤収。日本の軍艦派遣は一定の成果はあったもの、かつての親日的なハワイ王国政府を復活させることはできなかった。

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