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四話 特別高等警察

 馬見塚に話し掛けられるのは正直迷惑だった。

 前年の十一月、冷雨降る中、馬見塚と同じ徴兵期を迎えた在京の大学生が明治神宮の陸上競技場に集められた。東京陸軍大臣をはじめとする諸々の将軍の前で行進したのだ。
 浅井はその光景をニュース映画を観た。映画館のスクリーンに映し出される彼らは燦然としており、あまりの凛々しさに感極まってしまった。
 同時にこうも思った。
 「同じ大学生なのに、馬見塚とは雲泥の差がある」
 教練においても、脚に巻いたゲートルが解(ほど)けたまま引き摺り、手と足を同時に出して行進する馬見塚。何回やり直しを命じられても上手くできず、報國の精神が微塵も感じられない。皆、迷惑を蒙り、彼が隊列に加わるとゲンナリしていた。ぶっちゃけ浅井も彼を馬鹿にしてた。
 
 しかし、その馬見塚が今、若い女性と二人きり、一緒にいるのである。
 目を凝らしてもう一度見る。間違いない。
 浅井は駆け寄った。 

 相手の女性は、紺絣(かすり)のモンペを履いた清楚な感じがする女性(ひと)。近付く浅井を見つけた馬見塚は手招きして、彼女に何か話している。
 すぐそばまで行くと「僕の唯一の友達だ」と言って浅井を彼女に紹介した。
 その紹介のセリフに一瞬抗いたい気持ちになったが、彼女の手前、馬見塚の顔を立てるしかない。
 
 「妹で御座居ます」

 白いうなじが見えるほど深々と頭を下げる。
 全てが解明した。

 「もう御存知でしょうが、兄は無類の運動音痴でして、貴方様にも御迷惑をお掛けしているのではないかと心配しております」
 「いやあ、、、」
 いきおい頭(かぶり)を振る浅井。
 それから二人の輪に入り、馬見塚から、自分が治安維持法という思想犯で捕まったため小学校の校長だった父はそれを恥じて職を辞したこと、同じ小学校の教師をしていた妹も退職し、今はパラシュートを作る軍需工場で働いていること、母親は病床に伏してることを聞かされた。
 また、思想犯を捕らえて取り調べをする特高警察の過酷さも知った。
 野球のバットを膝裏に挟んで正座させられたり、手の指の間に鉛筆を挟まされ、折れんばかりにその手を握り締められるとか・・・。
 つまり、普通の犯罪者より数段厳しい。その上、方々(ほうぼう)の警察署をたらい回しにされ、挙句の果てには拘置所にブチ込まれる。そこで徴兵年齢を迎えると、合格率100%、実質名目だけの兵隊検査を受けさせられ、そして今ここにいるのだと語った。
 馬見塚はいつになく雄弁だった。しかし、それ今ここでする話かと思った。彼の清楚な妹と一緒に聴かされた浅井は、居たたまれなくなり、「先に内務班に戻っているよ」と告げた。
 その刹那、
 「どうか兄の友達になってやって下さい」
 深々と頭を下げ、馬見塚の妹が懇請してきた。
 自分では力になることが出来ない・・・そう思いながらも浅井は不動の姿勢をとり、妹に向かって挙手の礼を返した。
 それが精一杯の返事だった。

 今後は、馬見塚が話し掛けてきても嫌がらずに相手をしよう。そう思い、その場から離れた。

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