見出し画像

百二十五話 野人

 吉野中隊長が部下を全員集合させ、命令した。
 「以後の作戦には、輜重しちょう隊の同行がない!よって、弾薬と食糧の補給がない!無駄弾は絶対に撃つな!手榴弾は戦利品を使え!食事も戦闘の合間をぬって、自分達で徴発して食え!」

 浅井は呆然とした。
 河南作戦でも似た状況に陥っていた。その際、占領した街や集落に入ると、無人の家に押し入り、食い物を探し回って腹の足しにした。しかし、どうにも浅井は、要領が悪かった。

 戦闘だけで精一杯の初年兵。ましてや國民の義務である徴兵制度で入隊した同年兵より四、五歳年下である。
 その上、都会育ちで、元来の不器用とくる。ある徴発で、浅井は、支那人が食べ残した米飯を焼飯にしようと目論んだ。その際、灯油が置いてあったのをいいことに、飯を灯油で焼き台無しにした。
 灯油と食用サラダ油の違いすら知らぬ浅井。冷や飯が焼き飯になったとよろこんんで食い、凄まじい下痢になった。
 
 また、やらかしは徴発だけでない。戦闘行為においても醜態を晒していた。例えば、山から転げ落ちるように逃げる回る敵を四、五発射ち、ついぞ一発も当てることが出来ず逃げられていた。このことは、さすがに何でも話せて信頼できる寺尾兵長にすら隠して居た。

 そんな浅井に、以後オール徴発で済ませるという命が下ったのだ。
 お先真っ暗とは、真にこのこと。開けていた視界が一気に狭まり、暗くなっていく。

 刹那、背後に人の気配を感じた。
 「心配せんでいい。徴発の時は、俺について来い」
 声を掛けたのは、班長の田村だった。
 目の前が急に明るくなったのを感じる。
 以後、浅井は、田村の腰巾着として行動することにした。

 実は、田村も浅井の灯油焼き飯事件を知っていた。
 訓示を聞いて、白痴のように立ちほうける浅井を見るに見かねたのだ。
 東北・米沢出身の田村は、農家の出でこそなかったが、抜群の生活力があった。その規格外の自給力、生命力ゆえに、古参兵や上級兵から密かに「野人」とまで呼ばれていた。
 
 ある徴発にて。
 「日軍が攻めて来る!!家畜は柵を外して野に放ち、食い物は全部隠して退避しろ!」
 敵地区の司令官は、住民に戒告を出した。
 地域の住民は、逃げた。農家は無人だ。
 しかし、田村が来ると、敵の努力は水泡に帰す。

 「あそこの地面を掘れ!!」
 無人の農家の庭に仁王立ちし、しばらく周囲を見回していた田村が突如命令する。
 指示された浅井が地を掘ると、あら不思議。岩塩漬けにされた鶏卵が、泥に混じってびっしり埋まっている。 
 驚いたのは浅井だけでない。何故ここに埋めてあるが判ったのか。周囲に居た誰もが不思議がっていた。

 同様に、田村にかかると家畜も張りぼて同然だった。
 支那の鶏は、木の頂点てっぺんまで、素早く飛び立って逃げる。日本の鶏とは跳躍力が段違いなのだ。
 しかし、そんな支那鶏も田村の前では無力そのもの。誰もが捕獲を諦める中、難なく捕まえる。
 また、豚も野犬のように素早く逃げ回っていたが、田村はいとも容易く捕まえていた。その上で、下尻の皮を剥ぎ、切り落とした肉を浅井の大好物の酢豚にして食べさせてくれた。
 
 (班長殿について行けば間違いない。これで生き長らえる。一騎千頭、三百パーセント食いっぱぐれなくて済む!)
 徴発ごとに伝説をつくり、隊内で「徴発の神」と言われる田村を見て、浅井は心底ホッとする。
 以後、徴発の際、浅井は小判鮫か金魚の糞のように、ひと時も田村の傍を離れないようにした。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?