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タイムトラベルーーウド鈴木とスペースワールドのないスペースワールド駅

押し入れの整理をしていると、ふと段ボールのなかの1冊のアルバムが目に入る。パラパラめくってみると、小中学校のころのアルバムだった。すえた香りとともにたちまち懐かしさに引きこまれた。

スペースシャトルの前で撮った写真が目にとまる。小学校の修学旅行で北九州のスペースワールドに行ったときの写真だった。

スペースワールドは宇宙をテーマにしたテーマパークで、ディスカバリー号の実物大のモデルが飾ってあった。マスコットは「ラッキーラビット」。お土産に買ったラッキーラビットのマグカップは現在も使っている。

スペースシャトルの写真は班ごとに撮ったもので、当時の親友だった石田くんと肩を組んで写っていた。彼は家の方針で真冬でも半袖半パンで過ごしていた。

班の女子メンバーとは別に、もう一人男子が写っていた。が、誰だか思い出せない。観光地の顔出しパネルのように、そこだけポッカリ穴が開いたようだった。

私は気にせず次々とページをめくっていった。今度はウド鈴木の写真で手がとまる。中学の修学旅行で長崎のハウステンボスに行ったときのものだった。
こちらはオランダがテーマのテーマパークで、たしかキャイ~ンが番組の撮影で訪れていたのだった。

この時代のウド鈴木はポケットビスケッツで大ヒットを連発しており、お土産みやげ屋で彼を見かけた私は大興奮して、顔の間近でフラッシュをたき「写ルンです」で激写した。私がはじめて目撃した芸能人であり、私の宝物の1枚だった。

随行ずいこうカメラマンも興奮して連写したのだろう。ハウステンボス以外にもキャイ~ンの長崎ロケの写真が多数あった。さしずめキャイ~ンの写真集だった。

観光名所の眼鏡橋でのショットもあった。ウド鈴木の横に見覚えのある顔が写りこんでいる。……ああ、スペースシャトルの写真のアイツである。小学生のころよりずいぶん大人びているが間違いない。

私は徐々に彼のことを思い出していた。
仮にYとするが、X JAPANと嘉門かもん達夫が好きな男だった。中学時代、1度も同じクラスになったことはない。

中学1年まで時計の針をもどそう。当時、私は席替えでとなりになった女子と仲良くなっていた。Bさんとしておくが、私は消しゴムのケースの下に彼女の名前を書きこんでいた。

休み時間、おしゃべりな友人が消しゴムを貸してと言ってきた。私は「好きなひとの名前書いとるけ、お前にはぜったい貸さん」と断った。

すると、そばで聞いていた近藤くんが急にソワソワしはじめた。そういえば午前中、彼に消しゴムを貸していた。
もしかしたらBさんの名前を見たのかもしれない!

放課後、教室で私は近藤くんと2人きりになった。「――大丈夫、誰にもいわんけえ」と彼は言った。
となりの席にはあかいジャージのズボンが置かれていた。Bさんの名前の刺繍ししゅうがある。目ざとく見つけた近藤くんは、「におい……いでみたら? 誰にもいわんけえ……」とそそのかしてきた。

彼は12歳にして脇毛ボーボーであり、私は一目置いていたが、やはり発想が中1のそれを凌駕りょうがしていた。

まだガキだった私は度肝どぎもを抜かれたが、お調子者のさがで動揺を押し隠し、ボケのつもりで頭から彼女のジャージをかぶった。
すると近藤くんはニヤニヤしながら、「……誰にもいわんけえ」と繰り返した。

後ろめたさは微塵みじんもなく、私はこのことをすっかり忘れていた。
否応いやおうなく思い出したのは、2年生になって間もなくのことだった。Bさんとは別のクラスになっていた。

ある日「紅だァーーー!!」と叫びながら、Yが廊下を走っていった。あとを追って近藤くんが申し訳なさそうに私のところにびにきた。

私がジャージをかぶったことをYに話してしまったという。彼はYと同じクラスになっており、話題がなくて共通の友人である私のとっておきのネタを持ち出したのか。
ともあれ、YはBさんのクラスまで爆走すると、なんと本人にジャージの話を喋ったのだった。

つぎの授業中、なぜかBさんが顔を押さえて廊下を走っていく。私のクラスを通りすぎるとき、「ヘンタイ!」と彼女の声がした。私はドキドキが止まらなかった。

その後うわさで、Bさんが泣きながらジャージを焼却炉で燃やしたと聞いた。
来月の球技大会でジャージの着用が義務づけられていた。Bさんのジャージがないことで、職員室を巻きこんで問題になるのではないかと、私は生きた心地がしなかった。毎夜、ベッドでふるえていた。

それは杞憂きゆうに終わり、Yとは違う高校になった。

私はひらめいて、段ボール箱から高校の卒業アルバムを取り出した。確かここにYが写っていたはず。
やはり「合格発表」のページに、掲示板を見てショックで固まるYの姿があった。写真を眺めて私はなんとか溜飲りゅういんを下げる。

高校時代にも友人とスペースワールドに行った覚えがあった。まっ暗闇のジェットコースター「ブラックホールスクランブル」にハマって、10回以上は乗った記憶がある。

あるいはマグカップもこのとき買ったものかもしれない。小学校の修学旅行で買ったのはラッキーラビットのぬいぐるみだったような気もしてくる。

思い出のスペースワールドは2018年の元旦で閉園してしまった。炭鉱たんこう業の衰退ののち旧八幡やはた製鉄所跡にできた宇宙のテーマパークは、いまではその跡地にアウトレットモールができている。

テーマパークはディズニーやUSJなど一部の勝ち組とそれ以外に二極化し、また都心のデパートはつぶれ郊外のショッピングモールに置き換わっていく。
だが、最寄りのスペースワールド駅はそのまま残っているという。スペースワールドのない「スペースワールド」駅……。

東京にいたころ都立大学のない都立大学駅や、学芸大学のない学芸大学駅の存在が不思議だった。

しかしいま思うに、いい記憶だけを残して現実は見たくないのかもしれない。アルバムのなかの顔出しパネルのような修学旅行の写真のように。

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