マイ・スイート・ホーム(公園の桜と引っ越し代の行方)
大学生のころの話だ。塾講師のアルバイトをはじめて実入りがよくなったので、築20年のアパートから新築予定のマンションに引っ越すことにした。
家賃は4万円台から6万円台へと跳ねあがったが、オートロック付きでバス・トイレも別だった。
入居の契約をすませ、あとは建物の完成を待つばかりというときに、不動産屋から電話がかかってきた。4月に完成予定だったが、工事の遅れで完成が1カ月ほど延びるという。
そんなこと言われても、アパートの退去日はすでに決まっている。つぎに入居する住民も待っていた。
そう伝えると、駅前のウィークリーマンションを用意してくれることになった。もちろん費用は不動産屋の負担である。
ウィークリーマンションには家具も家電もそろっているので、アパートの荷物だけ先に建設中のマンションに引っ越すことになった。
自分も手伝わなければならないが、引っ越しは安い便利屋に頼んだ。
便利屋のおじさんは軽トラでやってきた。むき出しのままの家財を荷台に乗せると、5分ほどのドライブをした。
私がW大学の学生だと知ると、おじさんは自分も六大学の出身だと言った。
いまは便利屋に雇われているが、かつては不動産会社を経営していたという。わけあって免許を取り消されたそうだ。
入居予定の部屋のまんなかに家財を固めておいた。部屋では職人のお兄さんたちが内装工事をしている。家財を盗まれないようブルーシートで覆って、ひもでグルグル巻きにした。
作業のあいだ、工事の責任者は「遅れてすみません」とヘコヘコしていたが、職人のお兄さんたちからはガンを飛ばされていた。
安いから便利屋に引っ越しを頼んだのだが、電話で聞いていたより5000円も多くとられた。
ウィークリーマンションでの生活は快適だった。それまでロフトの畳に布団を敷いて寝ていたが、ホテルのようなベッドが置いてあった。
アパートでは廊下に置いてある共用の洗濯機を使っていたが、ここでは室内に乾燥機付きの洗濯機があった。
窓をあけると、道路をはさんだ向かいに公園があり、満開の桜が咲いていた。
しばらくのあいだ、ウィークリーマンションから大学に通っていた。葉桜になったころ、ようやく完成したマンションに引っ越すことができた。
不動産屋がお詫びがてら、車を出して買い物を手伝ってくれた。じゅうたんを買い替えようと思っていたので助かった。
担当の安田さんは沖縄出身のシングルマザーだった。引きとった娘を養うために、宅建の資格を取ったのだという。
便利屋のおじさんが免許を取り消されたことを話すと、よほどのことをしないかぎり取り消されることはないと、顔をくもらせた。
余分に取られた5000円はおじさんのポケットに納まっていたのかもしれない。
安田さんから娘の家庭教師をしてほしいと言われていたが、秋になってもオファーはなかった。
ある朝、パジャマ姿でビルの裏側にあるごみ置き場にごみを出しに行って、エントランスにもどってきたとき、ポケットに鍵がないことに気づいた。
寝ぼけていて持って出るのを忘れたようだ。オートロックなので締め出されてしまった。
ケータイも部屋に置きっぱなしだったので、不動産屋に鍵を借りに行くことにした。
寝癖の髪を冷たい風になびかせながら、不動産屋のあるとなり駅まで歩いた。スーツ姿のサラリーマンや制服姿の学生とすれ違うたび顔が熱くなった。
不動産屋につくと、安田さんは目を丸くした。事情を話すとすぐ鍵を取りに行ってくれたが、待っているあいだ受付のお姉さんが私を見てニヤニヤしていた。
「娘さんの家庭教師の件はどうなりました?」
鍵のお礼を言ったあと、ふと思い出して訊いてみると、安田さんは気まずいような顔をした。となりの部屋に引っ越してきた同じ大学の女の子に、3カ月ほど前からお願いしているという。
朝からパジャマで街をうろつく男の出る幕はないようだった。
「朝ごはんは?」
「まだです」
安田さんはお詫びのつもりか、サーターアンダーギーをくれた。プチシューのような見た目だが、沖縄のドーナツだという。
サーターアンダーギーの入ったビニール袋をぶら下げ、人通りの少なくなった道をあともどりした。
最寄り駅の近くまできたところでお腹が鳴る。ちょうど無人の公園があったので、ベンチで朝ごはんを食べることにした。
沖縄のドーナツは甘くておいしかったが、公園の木々の葉は落ちており、南国の雰囲気からはほど遠かった。
子供の声がしてふり返ると、道路をはさんだ向かいのマンションの窓から母娘が顔を出していた。
見覚えのある外観だと思ったら、春に住んでいたウィークリーマンションだった。ベンチのあたりの枯れ木は、窓から見えた桜のようだ。
丸めたビニール袋をポケットに突っこむと、マイ・スイート・ホームに帰った。
この記事が参加している募集
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?